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非人間化とは、人間を物のように扱う現象で、擬人化と対照的です。外集団や異なる社会的立場の人が対象となりやすく、道徳的配慮を欠く行動に繋がることがあります。戦時プロパガンダでも利用されます。#放送大学講義録(心理と教育へのいざない第9回)

-----講義録始め-------

 

物を人間と認識する擬人化とは反対に、私たちは人間を物のように扱うことがあります。この非人間化という現象は、擬人化とちょうどコインの裏表のような関係にあります。実際、擬人化の引き金が非人間化の引き金にもなることが知られています。例えば、知覚的に類似したものが擬人化されるのとは反対に、知覚的に類似していない人間は物のように扱われやすい傾向があります。この場合の類似性は自分を基準に判断されるため、非人間化の対象となるのは主に外集団、すなわち自分を含まない集団のメンバーです。

具体的には、外国人のように自分とは見た目が異なる他者は非人間化の対象となりやすい傾向があります。また、同じ国の人間であっても、社会的な位置づけが自分とは大きく異なる他者は、知覚的には類似していても外集団のメンバーとみなされやすく、そのような対象には人を認知した際に生じるはずの脳活動が見られないことから、非人間化が起きていると考えられます。人間ではないものに対して人を認知した際と同様の脳活動が見られる一方で、人に対して人を認知した際の脳活動が見られない場合があるというのは非常に不思議なことですが、これは対人認知が対象の物理的・表面的な特徴を認識するだけの過程ではないということを示しています。

同様にして、擬人化の場合とは反対に、自律性や予測不能性が感じられない相手は物として認識されやすいという非人間化の傾向が見られます。そのため、他者を自分の意のままに操ることができる立場にいる者は、人間を道具と見なす傾向が見られます。上司が部下を駒のように扱ったり、従業員を機械の歯車の一つとしてしか見ないといった現象がこれに当たります。また、心のつながりを欲する人が擬人化をするのとは反対に、他者との関係に満足している人が、その関係の外にある人を非人間化する可能性も指摘されています。

自分が所属する内集団の結束が固いほど、外集団のメンバーを自分と同じ人間とみなさなくなるのも、これが一因だと考えられます。擬人化することで対象が道徳的配慮の対象になるのとは反対に、他者を非人間化することは、その人に対して悪行を働くことを許すことにもなります。実際、非人間化によって暴力の指示や過去の悪行の正当化が高まることを示した研究もあります。戦時下に行われるプロパガンダでは、敵を猿や家畜、ゴキブリなど人以外のものや、人より劣った動物に表現するのが常套手段です。

さて、前述の通り、対人認知は物理的・表面的な特徴の把握を主とする物の認知とは異なり、心理的・内面的特徴の把握に重点が置かれます。このように考えると、非人間化とは、人間に対して心の存在を否定することと言い換えることができるでしょう。