ーーーー講義録始めーーーー
ノールズの代表著作
さて、遅咲きの研究者という意味では、ノールズの初期の仕事と言っても良いかもしれませんが、ノールズが50代後半であった1970年に、成人教育の実践と研究の成果として、『成人教育の現代的実践』(The Modern Practice of Adult Education)を刊行します。この時の副題は「アンドラゴジー対ペダゴジー」(Andragogy versus Pedagogy)でした。
堀先生はこの本も翻訳されていますね。
堀先生:そうですね。この本はノールズの代表的な著作と言っていいと思います。この本はのちに1980年に『ペダゴジーからアンドラゴジーへ』(From Pedagogy to Andragogy)に改訂されました。
私が日本語版で関わったのは、この改訂された後のものを底本にした『成人教育の現代的実践:ペダゴジーからアンドラゴジーへ』で、監訳として携わったんです。
なぜ副題が改訂されたのですか。
堀先生:それはですね、子どもの教育を援助する**技芸(art)と科学(science)とされるペダゴジーと、大人の学習を支援する技芸(art)と科学(science)**としてのアンドラゴジーとを、単純に対比的に捉えるのではなく、大人に対する教育実践においてもペダゴジーの原理が有効な場合もあり、逆にアンドラゴジーの原理が青少年に有効な場合もあるわけです。
したがって、2つの教育観があるんだということになり、例えば初心者向けのコンピューター教育などでは、大人であってもペダゴジーの原理の方が有効じゃないかということなんです。
なるほど、ペダゴジーとアンドラゴジーは対立するのではなく、連続的なものという考えを持ったことから、「ペダゴジーからアンドラゴジーへ」という副題の変化に現れているのですね。
堀先生:そうだと言えますね。
アンドラゴジーの6つの仮説
さて、アンドラゴジーの本題に入りたいと思います。ノールズによれば、アンドラゴジーは理論というよりも、成人の学習者に関する**仮説(前提)**の束からなる、と整理されることが多いと言われています。
堀先生:はい。ノールズの仮説は、初期の整理では主に4つとして示され、その後の著作や版の展開の中で「学ぶ必要性(need to know)」や「動機づけ(motivation)」などが加わり、6つとして語られることが多くなった、という見取り図になります。
ノールズは、成人教育者として実践に関わっている中で考えが深まっていったものと考えられます。
そうかもしれませんね。それでは、堀先生とこの6つの仮説を順番に見ていきたいと思います。
仮説1:自己概念の変化
第1は、成人学習者の自己概念は、成熟に伴い、依存的なものから自己決定的になるというものです。
これは、学習者の自己概念に関わるものです。生まれたての子どもは生きていくために人に依存しなければなりませんが、子どもはその後、社会で自立するために成長の過程を経ることになります。その1つとして、義務教育段階では、本人が望む望まないに関わらず、学校で一律に教育を受けることになります。
しかし、だんだんと大人になっていくにつれ、自分の決定や、あるいは自分の生活に対して責任を持ち、自発的で自己決定的、自律的な自分の生き方を見つけることを好み、自分で判断でき、自分の学習を管理することを望むようになっていきます。
このような個人による自律的な、自発的な学習のことを、ノールズは**自己主導型学習(self-directed learning)**として前面に出し、のちに同名の著作でも体系化していったわけです。
なるほど、子どもの学習は、学校教育という制度によって一律に提供されますが、成人学習者には、それぞれの学習ニーズに沿った学習の選択肢と個別の学習目標を提示し、自己決定的ではない学習者の場合、自己決定的に学習できるよう学習者を支援することが求められるのでしょうね。
堀先生:はい、そう言えますね。
この自己主導型学習については、次の第8回で詳しく取り上げます。
仮説2:経験の重要性
さて、ノールズの仮説の第2は、成人学習者のそれまでの経験が学習の豊かな資源となるというものです。
学習者の人生における経験は、その学習に大きく影響するものです。このことが、大人になってからの学習に個人差が生じる大きな理由とも言えます。成人学習者は、社会経済的背景や学習スタイル、学習動機、学習ニーズ、学習関心、学習目標などにおいて多様です。
そのため、成人学習の場面では、個人の背景や多様性に注目することになるわけです。この考え方はデューイから来ています。
確かに、学習者は豊かで多様な知識や経験を持っており、学習者それぞれが貴重な学習資源を自分の内部に有するとされています。このような知識や経験は、状況に応じ、問題解決、内省や推理力として用いられるわけです。
学習者に対しては、この既有知識や経験を新しい学習に応用するための支援をすることが求められます。そのため、成人学習の場面では、知識を一方的に伝達するのではなく、学習者の経験を活用する集団討議法、シミュレーション、問題解決活動などが推奨されるということになります。また、仲間同士の相互支援的活動も有効とされています。
経験の持つ両面性
堀先生:はい、そうですね。ただし、注意することも必要なのです。経験の豊かさは、場合によってはマイナス効果をもたらすこともあるのです。例えば、経験を蓄積するにつれて、既存の考えに縛られたり、先入観によって新しいアイデアに気づけなくなったり、別のやり方ができなくなったりする。こんなこともあるということですね。
学習者には、このような思い込みやバイアスを確認させ、新しいものの見方も取り入れることができるような支援が必要となるということです。
また、学習者の経験は、学習者のアイデンティティ、自己同一感ですね、を形作ります。そのため、その経験が無視されたり、見下されたりした時、そうした状況においては、その経験のみが拒否されたわけではなく、自分の人格が否定されたと思われることが多い。特に高齢の方なんかはそうなんですね。
成人にとっては、経験の持つ意味は本人の存在証明であり、経験を学習資源として取り扱うには、その経験に配慮と尊重が求められるということなんです。
なるほど。成人にとっては、それまで得てきた経験の蓄積こそがキャリアであり、人生とも言えるのですから、そうかもしれませんね。
堀先生:そうですね。
仮説3:学習へのレディネス
さて、ノールズの第3の仮説は、学習へのレディネスは、社会的役割という発達課題の遂行に向けられるというものです。
レディネス(readiness)というのは、準備状態という意味ですね。大人は、実生活で生じた課題に対応するために必要なことを学ぼうとしてきています。つまり、大人は知りたいことや習熟したいことが特定でき、生活の状況につながることを自覚し経験している場合、実際の状況に効果的に対応するために学習しようとする。そういうことなんです。
大人は、職業人、配偶者、父親、母親、地域社会のメンバーなど多様な社会的役割を担うのですが、このような社会的役割は学習ニーズをもたらすことが多いわけです。また、人生上で社会的役割が変化するとき、あるいはある発達段階から次の段階へと移行する場合、大人は学習を行う強い動機を持っていることが多いと言われています。
そのため、学習目標を特定し、適切な時期に学習することを望み、学習経験を可能にする明確な計画を必要とするということになるかと思います。
なるほど。



