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WHOの「完全な健康」とは何か――“complete well-being”への批判とME/CFS・患者のナラティブから考える健康 #放送大学講義録(健康への力の探究第1回その3)

【要約】

 

WHOは健康を、疾病がないだけではなく、身体的・精神的・社会的な“complete well-being”の状態と定義している。しかし“complete”という表現には、完全を求めれば大多数の人が不健康になってしまうという批判がある。また「疾病がないだけでは不十分」という表現は、病気があってもWHO定義上必ず健康になれるという意味ではない。ME/CFSは単なる長期疲労ではなく、活動能力の低下、post-exertional malaise、回復感のない睡眠などを特徴とする慢性の多系統性疾患で、原因や確定診断用biomarkerはまだ確立していない。そのため、医学的検査だけでなく、患者が症状や生活上の困難をどのように経験し語るかというnarrativeも、病気を理解し適切な診断・ケアを行ううえで重要となる。

 

ーーーー講義録始めーーーー

 

WHOの「完全に良好な状態」を読み解く

(「complete」という言葉が抱える問題)
この定義でよく問題になる点は、「完全に良好な状態」というところです。「少しでも問題があれば健康でないとするのは問題ではないか。それはあまりにも理想的な状態を求めすぎているのではないか。完全を求めれば、ほとんど誰も健康ではなくなってしまうのではないか」といった批判があります。実際、WHOの健康定義に対する代表的な批判の一つは、“complete”という言葉の絶対性に向けられてきました。2011年に『BMJ』に掲載された健康定義を再検討する論文でも、complete well-beingを要求すれば、多くの人がほとんどの時間「健康ではない」とみなされかねないことが問題として指摘されています。それでも、WHOの健康の定義に「単に疾病や虚弱がないことではない」と付け加えられている点は非常に重要です。これは、疾病や虚弱がなければそれだけで健康である、というnegativeな定義だけでは不十分だという意味です。ただし、「病気があってもWHOの定義上完全に健康である」と明確に述べているわけではありません。WHOの定義は、疾病の有無だけを見るのではなく、身体的、精神的、社会的なwell-beingというpositiveな側面も健康を考えるうえで必要であることを示している、と捉えるのがより正確でしょう。そして、「完全に良好な状態」の「完全」は英語の“complete”の訳です。これについては、physical、mental、socialという3つの側面のいずれも健康を考えるうえで欠かせない、という意味を読み取ることはできます。ただし、“complete”は英文では“well-being”を修飾していますので、単純に「3つの側面がすべて揃っていることだけを意味する」と限定することはできません。むしろ、身体的、精神的、社会的なそれぞれの側面においてwell-beingが十分に実現されている状態を非常に強く表現した言葉だと考えた方がよいでしょう。その強さゆえに、「completeは現実の健康を考えるには厳しすぎる」という批判が生まれているわけです。日本語訳では「完全に」ではなく「十分に」と表現したり、「完全に良好な状態」ではなく「十分調和の取れた状態」と訳したりする場合もあります。このような訳では、肉体的、精神的、社会的な側面が互いに関わり合いながら良好な状態にあるという意味が感じられます。ただし、WHO憲章の原文そのものは“complete physical, mental and social well-being”ですから、日本語訳によるニュアンスと原文とは区別して考える必要があります。こうした流れを踏まえて、現在の日本WHO協会の訳では、「健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます」となっています。「すべてが満たされた状態」という表現から、肉体的、精神的、社会的という3つの側面のいずれも健康にとって重要だと理解することができます。ただし、ここでも「すべて」という言葉を、WHOが公式に“complete”の意味を「3項目が全部そろっていること」と定義したものだとまでは考えない方がよいでしょう。

(身体・精神・社会から「病い」を考える)
次に、この健康の定義で示されている身体的、精神的、社会的という3つの側面について、今度は病気の捉え方と合わせて考えてみたいと思います。皆さんは、ME/CFS、すなわちmyalgic encephalomyelitis/chronic fatigue syndrome(筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群)という病気をご存じでしょうか。これは単に「長い間疲れている」という病気ではありません。活動能力が以前より大きく低下し、十分休んでも改善しない強い疲労が長期間続くことに加えて、少し活動した後に症状が大きく悪化するpost-exertional malaise(PEM:労作後の症状悪化)や、眠っても回復した感じが得られない睡眠などを特徴とする、慢性で複雑な多系統性疾患です。さらに、思考力や集中力などの認知機能の問題や、立っていると症状が悪化する起立不耐などがみられる場合もあります。ME/CFSの原因は2026年現在も一つに確定されておらず、診断を確定できる単一の検査やbiomarkerもまだ確立していません。しかし、だからといって医学的に何も分かっていないわけではありません。感染、免疫・炎症、エネルギー代謝、自律神経機能、遺伝的要因などさまざまな側面について研究が進んでおり、生物学的な異常も数多く報告されています。つまり、「原因が完全には解明されていない」ということと、「医学的な実体が分かっていない」ということは同じではないのです。その一方で、現在も確定診断のための単一検査が存在せず、症状の現れ方や程度も患者によって異なるため、患者自身がどのような症状を経験し、それが生活にどのような影響を与えているのかを丁寧に聴くことがとても大切になります。こうした人が自分の病いや経験をどのように語り、意味づけ、物語として表現するかというものをnarrativeと呼びます。日本語では「語り」と訳されることが多いでしょう。テレビのnarrationが「語ること」を指すから、それに対してnarrativeは単純に「語ったもの」である、とだけ区別するのは少し狭すぎます。医療におけるnarrativeには、患者が何を経験し、それをどのような時間の流れや生活背景の中で理解し、どのような意味を与えているのかということまで含まれます。こうした患者のnarrativeに耳を傾けることは、ME/CFSという病気そのものの存在を証明するためというよりも、検査値だけでは十分に把握できない症状の経過や、患者が実際に経験している生活上の困難を理解し、適切な診断やケアにつなげるための重要な手がかりになります。ここに、身体的な疾患だけを見るのではなく、精神的、社会的な側面を含めて人全体を見ることの意味が表れていると言えるでしょう。