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看護の歴史と看護理論(看護学概説第2回)

哲学的に深めることが出来て良かったと思う。歴史には全く触れなかったけれど、個人的には人付き合いに覚悟が出来たような気がする。

看護が始まったのは何時?痛い部分に手をあてるのは?生命を維持しようとするプログラムを人間は持っている。呼吸。心臓の鼓動。意思に関係ない。体温の調節など、生命体を維持するために。生まれながらにして自分で自分を診るということ。他人を診る、ということは?他者を診るのは3万年前から。Nurse。授乳をする。子守をする。という意味。他者を診るシステムも備えている、そこにこそ看護の起源がある。ケア。care。クーラ、というラテン語。気遣い、関心の神様。フムス。ヒューマンの語源。生きている間はcareが所有。人と人の間で生きていく。人は生きている限りcareを必要とする。人の誕生がcareの起源。生まれながらにして看護の力が備わる?その通り。誰にでも。看護の力とは?その人を想う気持ちの強さ。人に接する時に生まれる、careの力。相手の世界で相手の気持ちに。
careについて。キュラ。ラテン語。他の人の幸せを準備する。相手のことに心配して苦しむ。世話をする、という意味。介護そのものの実質を指すことも。感情を伴う反応も。ICareOfYou.矢印は私からあなたへ。私自身の感情を伴う。私自身を指す。点検している。お世話の行為だけでなく、行為の質をも指す。看護者自身が自らに問う。対象者と看護者に相互の矢印。ほんの2週間3週間の実習を受けた君たちに高齢者の大変さが分かる?下の世話をしてもらう辛さ大変さが。理解出来るようになることは不可能?あくまで私の痛み。どうすれば良いのか分からないといった場面に遭遇する時は?実存的な問の前に立ち竦む。人としての限界、壁がある。途方に暮れて立ち竦む時も。看護者の非力さ。私たちに何が残る?careの本質とは?共にあること。共にあるしかない。careの最大の力。どれだけの想いを寄せているか。
共にある、とは?共にいる、というのとは違う。コミットメントcommitment。関わり合い、全力を尽くす、献身する。全力で関わる。責任を果たす、行動を取る。眺めることとは違う。関わる側と受ける者が、一体となってある、ということ。riskを背負いつつ覚悟の上で相手の苦痛に巻き込まれるということ。どうして私だけがこんな目に?人間として生じた問いは、人間として答えなければならない。患者に向き合うためには?実存的な問に対しては看護者としての属性に答えている?知識技術を持っている。実績もある。そんなものに足場を持っている、努力をする。けれど、その人の人生に意味を与えることは出来ない、与えることが出来るには、実例。丸ごとの存在という実例に。フランクル。知的な答えはあり得ず、現存在自体が答え。属性により特別な力を与えられたと思うことは出来ない。存在そのものによってcommitmentを。技術だけで看護は出来ない。人間としての生き様にかかっている。自分自身を磨き上げていくことが不可欠。
看護とは何なのかを問うのは、自分自身を問うということ。多くの理論家たちも。誰の理論が正しいのか?それぞれの看護に対する考え方。現状を読み解くことが大事。どのように実践に活かすのか。ナイチンゲール「看護覚書」など。

 

看護学概説 (放送大学教材)

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