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貧困の社会学・序説 ~見田宗介「まなざしの地獄~現代社会の実存構造~」を読む~(人間にとって貧困とは何か第2回)

見田宗介の著書を読んでみたくなった。見るべき分析があるかもしれない。

 

見田宗介。73年の見田の論文。貧者のアイデンティティ。構築されるべき核が提示されている。高度成長期末期での貧困観は説得力を持つ。すべて書き写した。手書き時代の武骨な修行は書き写すことだった。18年に「現代社会はどこに向かうのか」の新書が。貧困の定義は難しいがやらなければならない。陳腐な引用。トルストイの「アンナ・カレーニナ」。それぞれに不幸。それぞれに貧困。貧困を巡る議論の混迷を言い当てられている。定義も為されずにイメージで議論して見失う。在る種の悲惨が並べられている。ぼやけた関心は霧散してしまう。基準は立てられた。貧困の問題は細々と続いてきた。政策の立案などを目的とするもので、線を引くという行為の為に。貧困の基準の問題。貧乏人は努力不足とみるのはわかりやすい。共感能力を持つ人は特別な出会いがあったから。極めて抽象的な。立ち位置から自由だった訳ではない。「お前は何者か」という反論。現代は都合のいい情報のつまみ食いが誰でも出来る世界。自己の正当化ばかりに。誰もが井の中の蛙に簡単になれる。もっとも疑わしいのは「私の言葉」。相対的貧困率。貧困という言葉の歴史。00年代後半まではどこか遠くの国での不幸について言い表す言葉だった。日本での貧困は忌避された。個人道徳の問題として片付けられ、貧困との関連性として社会的に問題とされなかった。貧困はあって欲しくない、見たくないこととされた。00年代の後半から、唐突に「貧困」という言葉が、政府が貧困率という調査をしたのが09年。貧困の定義はどうにでも恣意的に動かされる。経済成長に寄与しない存在は無いものとする。指標は大づかみでしかないが、継続することに意味がある。子供の貧困率は13.9%。その数値は時系列的に増加減少する。他国との比較も出来る。線を引くコトの恣意性は認識するとしても。基準の妥当性を巡る議論。示唆に富む問題提起が幾つも。タウンゼントの相対的剥奪論。個々の貧者にとっての貧困は客観的なものでなく、主観的な体験、主観的な欠如。生活習慣に従い紅茶を飲む。贅沢や華美は許されない?それは違う。朝の紅茶は重要な文化要素。そういうものが無いことが剥奪感を強めている。日本国憲法25条。最低限度の生活を国家により保障。このふくらみがどのような内容を容れられるか。ある一人の人間の朝の紅茶に気づけるか。実際に蹂躙されがち。社会的合意の前にアテンションが課題。貧困を把握することの難しさ。トルストイ。それぞれに不幸なもの、どう語れば良いのだろうか。線を引くアプローチの問題点。貧困に対する社会学固有のアプローチ。社会問題でなく個人の問題?放置の正当化。それぞれの問題にすぎない?体験の共有性。共有されるものを取り出し共通背景を説明する背景。解決の困難さが分かるだけかもしれないが、貧困が私たちの問題であるという認識を。貧困理解が意義を持つ。より寛容な社会の為には。
見田宗介の論文。理論的に大きな影響。ポイントが明瞭。NNという実在する日本の少年を描く。68年から69年の犯罪者の永山則夫。97年に死刑執行されている。獄中にあって多くの手記を。「無知の涙」など。NNは殆ど母親だけで。中学校は半分も出席していない。自分への自己嫌悪。65年3月に卒業し東京のフルーツパーラーで。熱心さこそ自己嫌悪に根ざした。投企。65年の中卒は3倍以上。中卒労働力は東北から京浜間へ。金の卵。10代の労働者。都市が要求し歓迎するのは新鮮な労働力に過ぎない。自由な主体としての人間。流入青少年問題。若者の不適応が問題に。認識の落差。あくまで新鮮な労働力、でなければ逸脱。青少年にとっては状況は自己解放の夢を託す。特異性は際立っている。流入青少年の事情を極端に顕在化。図表の上に人々を乗せることも出来る。皆が頑張っている。しかし認識の落差があれば、事情はそう簡単で無くなる。東京の側からの金の卵としての期待。それに応える青少年。フルーツパーラーでの熱心さ。必死で自己を演技する。演技通りの自己を獲得するために。人間の理解にはならない。統計的な事実の実存的意味。実存的諸事実の統計的意味。人間存在の意味を尽きなく存在する。存在を求めて止まない。自己を敢えて選ぶ実存たち。無数の実践、もがき。実存的意味は無数の実践の中に見出される。仕事熱心として統計的に把握されている。投企。宿命論に抗っての振る舞いの一切。出産という出来事、様々な実存的意味は在るはずだが、政策的な枠組に回収されがち。流入青少年の投企の意味。敢えて極限値に着目。逸脱する個性。NNの投企は挫折する。ある職場で否定する過去を。戸籍謄本を求められないところに生きる。密航を企てるように。事件に至るNN。
NNの投企を挫折させたものは?眼差しという概念。他者の眼差し、外側を捉える。具象的なものと抽象的なもの。戸籍の記載。一人の人格にとり表層。表層への眼差しで引きずり降ろされる。他人の眼差しが表層しか見ていない、にも拘わらず眼差しに囚われる。誰かに見られていると。敢えて逆手をとる自己解放。表層を操作して他者を操作する、誰もがしている。NNには2つの関心。再三に亘る進学への意欲。進学の意味。自己存在をロンダリングする。進学でも同じ。NNの進学は実存的意味が違う。高級品好み。舶来品の煙草。大学生の名刺を。パーカーのボールペンなど。都会が成年をそれによって判断する。その具体化。物を買うという行為の実存的意味。高校進学を断念して以降、表層を出し抜くことに。同情者でさえ反感を。舐め回す。社会の序列を再生産。不可視の構造。
貧者にまとわりつくのが貧困。社会の中で未来を解体しヒトとの関係を解体する。貧者にまとわりつく状況。考える精神を奪われる。貧困の中にあっても欲望は湧き上がる。貧困に抗う実存。貧困とは悪として貧者に代表される。貧困とは生活の水準の問題ではない。飢えの経験。NNにおいては、一冬の間に見捨てられた体験。関係的存在。物質的なものを関係的存在に変換する。
全体の枠組。何かになることを求めて止まない。承認する誰かが必要。かなり面倒。挑戦に疲れたかのように取り組む。想像を想像に終わらせない。人々の無数の企て。承認の取り付けに成功。貧しい人においても同じ。しかし手段を剥奪され、くじかれてしまいがち。今の自分でない自分を。

 

人間にとって貧困とは何か (放送大学教材)

人間にとって貧困とは何か (放送大学教材)