F-nameのブログ

はてなダイアリーから移行し、更に独自ドメイン化しました。

クライアントと「語る」こと  -「表現する」こと(心理カウンセリング序説第2回)

どうも自分の表現は、書くことに偏りがちである模様。話すことや、非言語的な手段で表現することが不足しているのかもしれない。

 

語ることが持つ意味。フロイトにより精神分析が。ボイヤーがOアンナという患者の治療に。多彩なヒステリー症状。白昼夢の話をして落ち着く。おしゃべり療法。コップから水を飲むことができない症状を。大きな犬がコップで水を飲む。症状が無くなった。必ずこのEpisodeが。心理的代償。カタルシスという概念。人間は非常に深いことを無意識の領域に閉じ込める。扱いの難しい事情。小さな子どもだと、都合が悪いとウトウトと眠ってしまう。大人でも聞こえないかのように振る舞う、または全く別のことを話す。必ずしも意識している訳ではない。在る種の感覚遮断、防衛機能。戦争であることもあれば、大きな犬であるのかもしれない。自然災害や犯罪などで、学校に心理臨床師が。扱いの難しい事情。そのまま意識に収めることは難しい。大きな不安を。聞かなかったことにする。遠い倉庫に仮置きしてしまう。防衛機制。心の傷。フロイトは心理的外傷という概念を。トラウマ。アンナの例。水を飲むことが心理的外傷になる。カタルシス。トラウマ。今度はボイヤーに嫌悪感を込めて話す。感情を込めて話したことで心理的エネルギーが発散される。昇華。自然災害や事件に遭遇した人が、忘れるのではなく、言葉や絵といった表現で再体験をするのも必要。慎重でなければならないが。45年3月10日の東京大空襲の経験。当時の経験はあまりに辛い酷いもの。橋に近づくこともできなかった。炎の中の橋の情景を絵に描くことで再体験する。その経験あればこそ、当時の橋に近づくことができた。精神分析の発達。心理的外傷、トラウマの発見は一般に認知されている。誤解もされているが。心理的外傷は大きな問題。感情を伴って見つめていく。カタルシス。クライアントの語ることの大切さ。談話療法。1つの本質を表現している。神経症との治療の関連。人間については昔から沢山の形でテーマとして取り上げられている。扱いの難しい事情。有名な話にも表現されている。王様の耳はロバの耳。古代ギリシア。音楽の技を競う。床屋はミダス王の耳の話を秘密にされるよう言われた。地面に穴を掘って叫ぶ。街中の井戸から声が響く。何人も戯曲を買いたりしている。ロバも問題だが。王様の秘密を抱えるのは大変。ロバの耳であることを見てしまう。扱いの難しい事情を知ってしまう。話すと死刑にされてしまう。告白をする。土をかぶせて埋めようとする。水の中に鎮めるなど。無意識の中に埋めてしまう。昔話や神話。大切な物を取り返す。意識の中に引き戻す。人に話すのでなく、地面の中に叫んで封印しようとした。おしゃべり療法。極端に聞こえるだろうが、日常にもある事情の筈。友人や恋人などに様々なことを語る。日々の生活は大変。糧を得ることや人と折り合いをつけること。家族こそが苦悩の源泉であることも珍しくない。何が起こるか分からないのが人生。パートナーに話を聞いてもらうことでどんなに救われるか。ペットに話を聞いてもらう人もいる。葛藤や扱いの難しい事情は避けられないが、一人では抱えられない。神経症や心の病気に。ボイヤーやフロイトが解明。澱。よどむ。滞る。日々生きていると出会いは避けられない。様々な否定的な感情が。一人で抱えていると澱んでしまう。人生には澱がつきもの。人生の深み。ヘドロのように増大し、流れが止まってしまうことも。血管の壁に付着するコレステロール。流れの底に溜まる澱。扱いの難しい事情。はけ口にされるペットも大変。子供が聞き手の役回りになってしまうこともある。やがて心身の調子を崩すことに。子どもたちは親のセラピスト役を引き受けさせられる。自分は親のゴミ箱にさせられていた。おしゃべり療法。セラピストがカウンセリングの器の中でならまだしも。
クライエントが語るとどのようなことが起こるのか。語り手は聞き手に受け止めてもらう。緊張がほぐれ、コレステロール状の澱が消えて水が流れる。長い時間が必要。10年以上かかることも。語ることを通して、意識化というプロセスが進行する。語ることを通しての意識化。幾つかの例。語る、言葉にするということは、未分化であった事象を整理する。部屋の中が混沌と、何が何処にあるかわからなくなる。未知のエネルギー。まだ人間化していない。混沌としているので風通しも悪い。あまりに難しい事象に直面していると。語ることで混沌を整理する。言葉にすることを通して自分の感情が発見できる。本人にしてみたら嫌だと感じていることすらわからないことがある。混沌から語ることの意識化。語ることで、全然許していなかったことが分かってくる。どんなに激しいものであったとしても、自分の感情がわかれば落ち着きも出てくる。自分ではやることにしていることがわかったと語るクライエントもいる。逡巡を重ねていたけど言葉にすることで、決断していたことを改めて意識する。言葉にしていく中で、不思議な現象。語ることは抱えていることと向き合うことでもある。向き合うことが大変だからこそ、無意識に押し込めている。何十年にもなっていることも。語るとは、扱いの難しい事情と向き合う、見つめること。ユングの「人間と象徴」。10年経過して、ずっと待っていてくれたから今話すことが出来る。扱いの難しい事情を見つめる、言葉にする、には慎重にするべき時間が必要。信頼関係の構築が必要。語ることはそもそも自分自身と向き合う。見つめる。対話することでもある。自分のことを見つめるのには自分だけでは難しい。自分のことには盲点もあるし、どうしても甘くなる部分もある。主観については他者が居ないと向き合えない。フロイトでさえ友人を必要とした。自分自身が他者の分析を受ける必要がある。自分が自ら他者に語ることが。言葉にすることで自分を見つめる、向き合う。日本人にとってカウンセリングというのは相当に新しい経験。日本では長い間、以心伝心が。言葉に依らないコミュニケーション。言葉だけでは伝えられないこともあるが、言葉による伝達への努力なくしては誤解が生じることもしばしば。学校教育において自分の気持ちを言葉にするという意識は薄い。家庭において、日常的に食事をしながら家族のそれぞれが経験を語り、耳を傾けるということが薄いように感じられる。言葉にしてみて初めて気がつく、ということは、自分で語ることがなかった、ということであり、問題。クライアントと語ること。表現すること。語ることは整理することであると同時に、表現することでもある。表現することは多くの日本人にとり簡単なことではない。語ることが文化的に継承されてきた訳ではない。書き言葉なら話し言葉に比べて表現力はあるが。議論することは控えめだが、書いてもらうと遥かに豊かな表現が。書くことによる表現にはかなりの重きが置かれていた。他者の目を意識しなくても良いから?フロイトは話し言葉で自らを語ったのではない。ウィーンからベルリンで手紙の形で自らを語り続けた。書き言葉を通して。言葉にするのは書き言葉によっても。カウンセリングを考えるにあたって様々なヒントに。詩を持って来られるクライアントもいる。文字通りに語る場合も多いけれど、自分を表現するのであるなら語り言葉である必要はない。手紙などは非常に大切な言葉。フロイトは曼荼羅imageを描いていた。チューリヒ湖畔に家を立てた。石の割り方から教わり、一から作る。変容を重ね32年を費やした。自らの表現として家を作った。自分を表現するには言語的な形式でなくても可能。カウンセリングにおいて言葉にして意識化することは非常に大切だが、場合によってはクライアントが絵を描いたり写真を撮ったりすることも、表現として大切に受け止めなければならない。箱庭療法。河合隼雄。木々やミニチュアなど。自ら世界を表現する。日本のカウンセリングの現場に大きく受け入れられる。

 

心理カウンセリング序説 (放送大学教材)

心理カウンセリング序説 (放送大学教材)