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精神分析のなりたち(精神分析とユング心理学第2回)

そもそもフロイトの精神分析は科学的なものとは言い難いという話を時々耳にする。かなり誤って理解がされている模様。

 

森さち子。精神分析のなりたち。今から100年以上前に。19世紀末、ウイーンでフロイトが生み出す。フロイトの生い立ちとウイーンの時代背景。創始した精神分析は人の心の無意識に光を当てることに価値を置いた方法論。無意識にとどまらず歴史的に過去から未来に。宗教論文化論に応用して広げる。フロイトが患者の内面に。無意識の世界、方法としての自由連想。重要な概念について。精神分析に込められたフロイトの人間観。
19世紀末に開業医として若い女性に。医学的所見が無いにもかかわらず症状が。やがて彼らが願望欲求欲動を心の奥に抱く。ウイーン社会でタブー、口にするのが許容されない。意識すること無く心の奥に。その現れとして奇妙な症状に。フロイト自身、内面に目を向けるだけでなく自分の内面にも。父の死。深刻な喪失体験を契機に夢を。一連の夢の分析。手紙や文通を介した自己分析を。フリースとの。2つの体験。神経症患者の体験と自己分析体験。フロイトを無意識の世界に。体験を基盤にして精神分析は形作られる。
無意識の発見。意識の領域では説明できない部分に光を。フロイトのいう無意識とは抽象的なものではない。発見したのは記述的なものではなく心の中の動きのあるもの。無意識を心の力動として捉える。臨床家の慧眼。意識しようとしても自覚できない。自分の中なのに。意識に上ると都合が悪い。とても苦痛。だから意識しないで済むように心の奥に閉じ込める。心の防衛。いろいろな種類があるが、意識化しないようにするのを抑圧と。抑圧する力と。力動的な葛藤。無意識に追いやることに成功して一見安全に普段の生活を。どこかに症状に置き換える場合も。葛藤に気づかないまま体のどこかに不具合が。意識化するよりもマシ。無意識を巡る。抽象的ではなくダイナミズムを。フロイトの無意識の発見はぶつかり合い。心の葛藤に気づく。フロイトのヒステリーの患者、エリザベートの症例。30歳の英国女性ルーシー。家庭教師として住み込む。工場主の妻が何年か前に亡くなる。恋心を抱くが心の防衛が。匂いが。葉巻の匂いなど。フロイトの治療を受ける過程で抑圧が緩んで恋心を感じ、片思いであることを。変な匂いの消失、治癒に繋がる。クリームの焦げた匂い、望郷の心の状態。母親の手紙。取られてしまいバタバタしてると焦げてしまう。その匂い。葉巻の匂い。自分の思いが片思いと気づいた時の。少しずつ気持ちをそのままに。終結時にルーシーは語る。心のなかで彼に恋しているのは自由。叶わない恋でも持ち続けることを。葛藤からの解放の。エリザベートの症例も心の不思議さを。力と力のぶつかり合い、力動的葛藤。無意識を用いた真意に近づける。ダイナミックな心の。様々な気持ちを抱えられるように。心の入れ物が豊かになり無意識に追いやらず苦痛に耐えられるように。
精神分析の方法としての自由連想。第一基本規則。フロイトが創始して以来、精神分析の本質に関わる。心の中に浮かんだことをそのまま語る。率直に包み隠さず。真実を語ることが究極的に求められる。誠実さが問われる。大切にしていた信念と深く関わる。真実の上に立つものと。真実に対する誠実さが真髄。クライエントにしても治療者にしても大変厳しいもの。実際の自由連想の構造。カウチに横たわり頭のそばに座り自由連想に耳を。週に4回か5回、1回50分。もう一つの規則。禁欲規則。可能な限り禁欲の内に。被分析者だけではなく分析者も。クライエントには心に浮かぶことを何でも自由に。どんな願望が浮かんでも行動に移してはならない。行動化。それも禁止。治療者もクライエントを利用してはならない。思い浮かんだことを何でも語るが行動には移さない。2つの規則は切り離せない。治療論にも。禁欲規則が守られないなら?治療を受けることで欲動が解放され次々に満たそうとする。更に新たな葛藤や衝突が。空想しても自由であることを実感すること。但し心の中に抱えることの出来る自我を。精神分析を受けることは心の柔軟性へのトレーニングを。治療者への不満や怒りを実感し内的に受け入れる。実際のところ国際的な資格を持つ人は多くない。基本的には週1回50分での心理療法が主流。90度の角度で椅子に着席する。毎日分析を純粋な精神分析と。精神分析的観点に。精神分析的心理療法。
エディプス・コンプレックスについて。敬愛する父ヤコブの死を契機に手紙を介した自己分析が精神分析の成り立ちに。自己分析の中でエディプス・コンプレックスが発見される。後に個人的体験が自分に特有ではなく共通のテーマであるという確信を。エディプス・コンプレックスとは?異性の親に抱く、同性の親に抱く親殺し。罪悪感や罰せられる不安、去勢不安。最愛の父親を失う悲しみの喪の過程で。内的な抵抗と心の苦痛を経て実現。母親に対し性愛的な。父への敵対心。感情を受け入れることは苦痛であり無意識に抑圧し封じ込める。極めて個人的な複雑な感情が人種を超えて世界の人にある罪悪感。この自覚に到達して発見。人類に普遍的な。エディプス王の悲劇。生まれたその子どもは父親を殺すという神託が下っていながら。両親に捨てられて父と知らずに殺し、母とは知らずに結婚する。罪悪感に苛まれ命を落とす。異性の親への愛着、同性の親への敵対心。それらへの罪悪感。戯曲の中に葛藤のテーマの3つを。フロイトは複雑な感情をエディプス・コンプレックスと。戯曲に深く心を動かされる人々。普遍的なテーマが。自分の内面に。1人の心の体験を越えて個別的な心の体験を理解する。どのように自分の心の奥深くにエディプス・コンプレックスを?1896年に父が40歳の時に亡くなる。自己分析の中で父のエディプス的なものが。父に抱いていた死の願望。亡き者にして自分が取って代わろうとする願望。大目に見てください。夢を見るに先立って、葬儀に遅刻して悔やんで見た夢。何らかの後ろめたい気持ち、罪悪感を。更に後にみた夢。伯爵の夢。当時政界で。ウイーンの駅で会い競争心から一等車に。自分が父より優れているという感情。目が不自由な紳士。白内障を。幼い頃のおねしょで怒られた経験。父を超えたいという願望が。ついに衝撃的な夢。出来なかった夢。徐々に抑圧が緩む。自分の目上の人々をにらみ消す。青ざめて姿が消えて無くなる。有頂天になりそもそも生きていなかったのだと。若い研究者だったフロイトは度々遅刻を。教授に睨まれて消え入りそうだった。父親体験。夢の中では父を睨み消す。フロイトは更に自己分析を深め激しい競争心。自分の中に潜む死の願望を。他人に報告するには好奇心が必要。高潔な人の間で悪者と暴露しなければならないから。自分自身を罪深き者だと。夢の自己分析が起源に。フロイトの体験から。一連の自己分析から重要な概念として。父親に処罰される不安からの。母子関係からの罪意識。阿闍世コンプレックス。西洋的な父親と子ども。アジャセは母親と子どもの関係が前面に。阿闍世のテーマはエディプス出生前にも。阿闍世の母の利己主義に目を向けて、自己中心的欲望から子どもを。殺したりもする。母親への怒りや怨念が阿闍世のテーマに。後に母親の自己犠牲。懺悔心に変容。エディプス・コンプレックスは処罰恐れ型罪悪感を。阿闍世コンプレックスは発展。次の世代への世代間伝達。母親との自己愛的一体感から抜け出る。フロイトのエディプス・コンプレックスが異なる地域で発展的に受け継がれていることを。
夢は無意識への王道である。心の無意識への世界には色々な入り口が。重要な道筋は夢。夢を用いた分析は最も身近に。夢分析。大きな価値が。00年に刊行された書籍。寝ているときにも働く夢の仕事。むしろ臨床上、夢がどのように扱われるか。不安が強くならない程度に葛藤が。夢の仕事により潜在的思考が。しかし曖昧さは解読方法を見つければ解決できると。個別的方法。一つ一つの要素に自由連想を促す。それらの連想の流れを再構成。古来より類型的な方法が。省庁として捉え象徴解釈を。定型的主題を。夢の象徴の中に多くの性のイメージが。「夢解釈」で個別的な。各要素につき自由連想を。隠されているのを推測。無意識的意味を。夢を別個に取り上げるよりも自由連想の一つとして。限りなく解読する方法を取らない。夢も自由連想の一つに。フロイトの無意識は個人派生的。ユングは世界共通的な。感性の違いが。
精神分析草創期を取り上げる。科学的世界観を元に。自分の心の暗闇の世界を。創始した精神分析は厳しい方法、性的に偏っている?エッセンスが精神分析の世界の誘いに。

 

精神分析とユング心理学 (放送大学教材)

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症例でたどる子どもの心理療法―情緒的通いあいを求めて(オンデマンド版)

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  • 作者:森 さち子
  • 発売日: 2015/12/01
  • メディア: オンデマンド (ペーパーバック)