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学校の“見えない教育”と不登校問題 生徒指導と教育相談第7回(その6) #放送大学講義録

カテゴリーで人間を動かすというのは教育の悪弊ではないかと思う。

 

------講義録始め------

 

次に、不登校と隠れたカリキュラムの問題について取り上げます。近年、不登校が示すように、隠れたカリキュラムへの適応問題が浮き彫りになってきました。この問題は、学習環境を改善する課題と密接に関連しています。隠れたカリキュラムとは、学校などの文化伝達機関で学習者が過ごす過程で間接的に獲得する、行動様式に関わる知識や技能、具体的には行動の規範、態度、価値観、信念、イデオロギーを指します。少し抽象的かもしれませんが、教師の側から見ると、この隠れたカリキュラムは公式のカリキュラムを伝達する際の補助として機能し、学級経営や授業の秩序の形成に役立っています。

学級が混乱する場面は、子供たちがこの隠れたカリキュラムを十分に学んでいない、または誤解していることに起因すると考えられます。子供たちの視点からすると、教師との間に暗黙の了解がないと、効果的な授業は実現しにくいのです。隠れたカリキュラムへの適応問題は、特に日本の教師にとって切実であると感じられます。実際、日本の学校には独特の隠れたカリキュラムが存在するようで、常吉僚子先生が行った日米の小学校の教室観察によれば、日本の教室では集団指導という形の相互作用が支配的です。

帰国子女や新しい移民の子供たちは、この日本特有の隠れたカリキュラムを体験します。彼らは目に見えない決まりや集団主義の中での無言の圧力、同調を求める空気などに違和感を覚えることがあります。日本の教師が「みんな」、「男子」、「女子」といったカテゴリーを用いることにも、彼らは疑問を持っています。これらのカテゴリーは、教師が生徒たちをグループとして動かす際に便利だと考えられますが、現代の子供たちには必ずしも適しているとは言えません。

教師や指導者の経験からすると、子供たちをグループとして動かすときに最も役立つカテゴリーは「男子」と「女子」です。この分類は外見的に明確で、指示を迅速に伝えるのに有効です。しかし、最近では性のカテゴリーも多様化してきており、新しい教育の流れの中で、集団指導の方法も見直す必要があります。

児童や生徒の中には、隠れたカリキュラムの存在に気づかず、または気づいてもストレスを感じて対応できない者もいます。その原因が少子化の影響なのか、日本の教育システムが時代遅れであるのか、意見は分かれています。しかし、この隠れたカリキュラムを教育環境として再評価することで、新しい指導方法やカリキュラムの改善が必要とされています。これは学校文化を変える試みと直結しており、その方向性は学びの場での対話や協力を重視するものとなっています。

最後に、学び直しのカリキュラムと自立支援型の生徒指導について触れます。カリキュラムの考え方は、単なる内容から関係性に重点を置く方向へと変わってきています。知識基盤社会では、深く考えるための知識が求められます。この視点から、生徒指導とカリキュラムの関連性を検討し、日本の学校文化と社会との関連性を明らかにしました。広い視野から、将来の進路と学び直しを展望すると、各生徒を社会的に自立させる方向での指導が必要とされています。今回の講義をここで終わります。