F-nameのブログ

はてなダイアリーから移行し、更に独自ドメイン化しました。

キリスト教とアフリカ ~植民地化以前~(アフリカ世界の歴史と文化第3回)

アフリカの歴史というものは、私の習った時代の世界史では殆ど取り上げられなかった。今でもそうかもしれないが。

 

石川博樹。キリスト教とアフリカ。植民地化するための道具。独立するための道具にも。シオニズムとも関わる。キリスト教初期からアフリカは重要。アフリカにおけるキリスト教の歴史。
パレスチナにおいて成立。北アフリカの人の告白。空虚。アウグスティヌス。アフリカ出身。アルジェリアの生まれ。ローマの文化圏で生きる。青年時代の過ちを語る。古代キリスト教最大の思想家に。神の国。中世のヨーロッパを考える上でも重要。青年時代には立身出世を目指す。奔放な生活を。マニ教と呼ばれる宗教にもハマる。悩み多き人生を。北アフリカで司教となり精力的な叙述活動を。修道院がアフリカに成立。弾圧を受けていた時代においては殉教者たちが理想の信徒。それが終わると禁欲生活に没頭する修道者たちが理想に。禁欲的な信仰生活を始めたのがアントニウス。エジプトに生まれる。禁欲的な修行を始める。豊かな家庭に生まれながら、突然改心して富を貧しい人に。聖フランチェスコも。いわゆる修道士の生活に説教を。新しい考えを作る人に。キリスト教はヨーロッパ的?神学的なベースを作ったアウグスティヌスがアフリカをベースに。修道制もアフリカが。修道院が生まれたのもアフリカ。パコミウスが共同での生活の修道制を。修道院を建てる。修道院規則を。その後の基礎に。エジプト以外にも広まる。ローマからヨーロッパに。ローマの中では331年にキリスト教が承認。更に国教として発達していく。キリスト教にとってももう一つの柱は修道院。三位一体論。神の国などの著作。中世ヨーロッパにおける神学と哲学の基礎に。
現代アフリカでのキリスト教の祝祭。エチオピアの北部の祝祭。プレスター・ジョンの伝説。国立民族学博物館の研究者が。映像心理学。フィルムを制作。太鼓や手拍子などの歌。キリスト教の儀礼のイメージとは異なる。1500年くらいは行われてきている。アフリカ大陸には古い時代からキリスト教が信仰された時代。キリスト教の分裂の歴史。カトリックとプロテスタント。16世紀の宗教改革で。地中海の。ギリシアに独特の。東方正教会。11世紀に分裂。更に5世紀に袂を分かつのが複数。公認されたあと、教義を巡る議論が。451年の教会会議。単性論が異端に。カルケドン公会議で非カルケドン派と。イエス・キリストは人間としてと神として。どのように混じり合うか?などの議論が問題に。当時のキリスト教の中心はコンスタンティノープル。エジプトは皇帝による支配。中央と地方、派閥争い。教会の分裂に。シリア教会やエチオピア教会など。かなりの信者がエジプトに。10%程度。古いキリスト教を守る。コクチ。イスラム教徒はムハンマドが。642年までにエジプトを征服。カルケドン派のビザンツ帝国。コクト教会の再建。イスラムには、キリスト教徒やユダヤ教徒は啓典の民として処遇。人頭税の支払いを条件に信仰はして良いと。ファーティマ朝。コクト教会の繁栄の時代。コクト文学の隆盛。マムルーク朝になると打ちこわし事件などが。差別も強まる。14世紀に大規模な改宗が。1割程度まで減少する。スーダン共和国。キリスト教徒やイスラム教徒の対立が背景。スーダン共和国にもかつてはキリスト教の王国が。ルビアの地にはメロイ王国が。4世紀で滅びるが3つの王国が成立。6世紀にビザンツ帝国が。次々とキリスト教化。カルケドン派。マクリア王国。マムルーク朝の成立で侵攻を受けて滅亡する。16世紀くらいまでにキリスト教の王国がイスラムに。
エチオピアのキリスト教。群衆の数が増えたのでキリストは話す。人の子もしるしとなる。女王は地の果てから来た。ソロモンに勝る。ヨナの説教を聞いて悔い改める。ルカによる福音書。新約聖書。奇跡を示してほしいと。シバの女王。ソロモン王のもとを訪れて。エチオピアの女王と人々は信じる。聖十字架伝説。彼女がどこに住んでいたのかは旧約聖書に書かれていない。伝説的な情報が伝わっている。エチオピアに伝わったのは4世紀。キリスト教徒が昔の女王様と信じている。ソロモン朝エチオピア王国。血筋でなければ王様になってはいけないという観念。イスラムの影響を。地中海の東岸や北アフリカと異なる。14世紀に衝突が起こる。16世紀に窮地に。プレスター・ジョンを探しに来た者が起死回生の。現在に至るまでエチオピアの高原はキリスト教。エチオピアのキリスト教会。非カルケドン派。旧約聖書の影響を強く受ける。食べ物に対するタブーを忠実に守る。失われたアーク。エチオピアの伝説ではシバの女王が生んだ子供が持って帰ってしまってエジプトに。レプリカが各教会に。行事に重要な役割。旧約聖書の影響の方が大きい?どのようにして影響を受けたのかは様々な説が。直接ユダヤ人がやってきたという説。旧約聖書的な慣習が伝わった説。非常に独特のキリスト教を築く。エチオピアでは19世紀の終わりにキリスト教徒の王様が統一。40%位。高原部では大半。エチオピア内部に留まっていた?内部で教義論争を経て発達。
アフリカがキリスト教の歴史での大きな役割。アフリカ内部でキリスト教の独自の展開。キリスト教はヨーロッパのもの?アフリカ大陸におけるキリスト教のあり方にも注目を。イスラムとの関係も。

 

アフリカ世界の歴史と文化―ヨーロッパ世界との関わり (放送大学大学院教材)

アフリカ世界の歴史と文化―ヨーロッパ世界との関わり (放送大学大学院教材)

 

 

 

ソロモン朝エチオピア王国の興亡―オロモ進出後の王国史の再検討 (山川歴史モノグラフ)

ソロモン朝エチオピア王国の興亡―オロモ進出後の王国史の再検討 (山川歴史モノグラフ)