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チャイナプラスワンのベトナム産業政策(アジア産業論第8回)

ベトナムから来た人間も私の街には多くなった。社会の理解が必要。

 

朽木昭文。チャイナプラスワンのベトナムの産業政策。ベトナムの改革。86年に開始。ドイモイ。刷新。ドイモイ政策。成長がある程度できたところへの是正をする社会政策。画期的なベトナム北部のクラスター。キャノン効果。今後の成長戦略。
ベトナムを近年で捉える上での、チャイナ・プラス・ワン。中国に加えてもう一つ。中国にある工場に加えてもう一つ別の国に。リスク分散。アジアに企業の成長を広げるのに必要。ドイモイ。中国の78年からの改革開放政策、ロシアの87年からのペレストロイカに相当。計画経済から市場経済に転換。その過程で大変なことが起こる。為替レートの切り下げ。86年に1ドルが15ドン(ベトナムの通貨)。90年に約9000ドンに切り下がる。円で想像すると1ドル100円が6万円に相当する。銀行に預けていたカネが紙くず、パーに。銀行を信用しないで金で資産を持つという行動に。91年に初めてベトナムに来てゲストハウスに泊まる。かつてはロシアからの客を受け入れる。ホテルによっては蚊帳を使う。8時位になると停電に。街自体に電気がない。レストランも殆ど無い。ピアノバーと後1軒くらい。そこから成長を開始。ハイパーインフレを経験。為替レートの切り下げに伴い当然は輸入する品物の物価を上げざるを得ない。年率500%のインフレ。どうやって克服するか。ショック療法が効果を収める。90年代初めにマクロ経済が安定化する。その過程で必要となるのが成長の核を作ること。92年から96年には8%以上の成長を。縦に長い国土に成長の三角地帯。3つの都市を成長させるという提言がハノイの世界経済研究所から。北部と中部ダナンフエ等と南部の3つずつ。南部は市場経済がかなり入っていて成長が早かった。北部は夜になると真っ暗に。北部の首都ハノイを中心とした成長戦略が。相対的に順調。ここ数年では南の方では不満が。中部。依然として成長が充分ではない。ダナンなど。経済成長の起点となるのは3つの都市にインフラを。道路や橋や港。成長基盤を作る。北ではハイフォン港のリハビリテーション。日本政府やJICAも協力。大抵の開発途上国でもそうだが、空港の建設を日本が助ける。ドイモイ空港、ハノイとホーチミンの空港への支援。ベトナムの成長も96年までは順調。格差の是正を。成長の恩恵に預かった人とそうでない人の。96年に社会政策が。これについて国論が二分。早すぎる?但し農村部の所得の向上は持続させないと均衡が破れ政治的な不安定に。96年には社会政策の重視が。大きなものとして国営企業改革の問題が残される。第二のドイモイ政策とも呼ばれる。86年に1万2千社以上が国営企業。中国は国有企業で経営は民間のマインドを持つ人が。所有者が国。国営企業は国のマインドを持つ人が経営を。市場をあまり知らず改革が進まない。それでも97年には5千5百まで減るが。大変な数。日本でもそうだが改革の難しさ。政府の人間も絡み改革がなかなか進まない。国営企業を残しつつ。01年になると社会主義志向市場経済、市場経済化を積極的に。混合所有。政治は共産党一党支配。文化は愛国主義に基礎を置く。一層の市場経済化。
01年4月の共産党大会。市場経済を明記。00年くらいから外国資本の投資の積極化。ベトナムの成長は外資の導入が。急速に成長を開始。国営企業の株式を外国人向けに売却する制度。95年にアメリカとベトナムが通商協定。外国の力をうまく利用することにより成長が見えてくる。典型例が北部ベトナムの電気電子の産業集積。キャノン効果。野村證券。工業団地。野村ハイフォン工業団地など。北部ベトナムの成長拠点に。住友商事も。初期段階では上手くいかない時期もあった。ゴルフ場を作ったりもしたが売れなかったり、それからハイフォンは開花。国道5号線。ハノイとハイフォンを結ぶ。投資手続きを簡単に、税制を優遇。キャノンが入ることにより他の企業を引き連れてくる。アンカー企業。アジア各地で同じ現象が。総合商社を中心にした日本の企業が工業団地を。アンカーとなる企業を。自動車は沢山部品を。電気電子も。産業集積が生まれ次のクラスターまでは完全に起こっていないが種になる。産業クラスターが順調に進む。なぜ外資が来たのか、その条件。人が居た。労働集約に適した人材が。インフラが整備。投資手続きも簡単に。国道5号線が重要だった。日本のODAが中心だったが。ハイフォンの港からハノイまで。整備されていない時期。朝の6時位に起きて朝食を取って4時間位かけて。道路と鉄道が一緒になった場所があり、鉄道を使うと車を止めて待つ時間がある。ここでお土産売が。果物を買って食べたりして調査を。帰りが大変で、電気もない中で車で突進。米を脱穀するような状況。死ぬ思い。国道5号線が完成して改善。ハロン湾が世界遺産に指定。007で情報基地に。ここに道路が開通して簡単に行けるようになり世界遺産に。01年にキャノンが生産を開始。6月に生産を初めて01年に6社が入る。02年には13社。産業集積。キャノンに関わる企業が。ドラゴンロジスティックスなど。次の産業クラスタートしての基盤になる。住友商事が工業団地を。ロジスティックスが入り重要な位置を。輸出志向工業化なので原料を輸入してそれを利用して生産。生産した製品を輸出。ロジスティックスが非常に重要。その後は電気電子産業の集積で、キャノンはタイでも生産。バンコクとハノイが部品の交換などで両立できないか。タイとベトナムと中国のネットワークの可能性。輸送会社が結びつける。ドラゴンロジスティックス。移動に関して色々と可能性を試す。アジアが一つになるモデル、可能性。
キャノン効果ははっきりと数字で示せる効果が。08年には4万人の雇用を。サプライヤーは100社に。この過程は大変だった。91年には空港から市内まで唸る。それが高速道路が出来て短くなる。1時間くらいに。最近は車が多くて時間がかかるという変化を。道路がどうなるかの問題が。ハノイの問題。まだ旧市街。新市街を新しく作らないと成長が難しい?とりあえずキャノン効果として成長したが、空港から市内までの様相が変わる。空港から10分くらいに工業団地が。サムソンの旗が多く見られる。気がついたらギャラクシーとしての基地の役割が。現在では韓国の存在感が圧倒的。北部においてもサムソンのスマートフォンが。13年には生産台数が1億2千万台に。工業団地にはサムソン専用の航空貨物の窓口が。ベトナム政府も優遇。税制については4年間は法人税を免除するなど。スマートフォンの生産基地に。スマホについてはiPhoneが圧倒的に強くなり中国メーカーの製品も伸びている。今後の予断を許さない。ベトナム北部も工業団地に頼るのは危険性があると政府関係者も認識している。2つの大きな方向。タイとベトナムと中国が繋がる。バリューチェーンが重要に。研究デザインから部品調達、マーケティング。顧客満足の最大化を目指す。鎖はアジア全体について。1つの地域統合。バリューチェーン。チャイナプラスワン。中国とベトナム、タイを繋ぐ。残ったインドやインドネシアがどのように絡むかの方向性。ベトナムはとりあえず外資で成長。投資環境の整備を15年に大きな問題に。第2段階。ハノイとハイフォンの高速道路の完成が必要。もう一度と呼ぶのは間違い。最大の問題は高速道路が少なすぎること。国道5号線は高速道路として建設したが、バイクも入る。豚を5匹か7匹、家族3人を1台のバイクで。交通事故の多発。車を中心とした高速道路の建設が必要。ハイフォン港。砂が溜まる。深海港の建設が必要。とりあえず工業化の方向は電気電子クラスターを中心としてバイクの方向性も。一定の目処が。中国と同様に次のステップの問題が。サステイナブルディベロップメント。持続的開発。環境破壊なき成長。どうやって目指すことが出来るかの議論が。11年から10カ年国家開発戦略。委員会が発足して長期的開発ビジョンを。5カ年国家開発計画。各セクターの。解決されていない課題の解消を。アジア全体に共通する問題だが、文化のもう一段の整備が。農業食品環境産業の産業連関を上手く高めることでクラスターを形成。例としてラムドン省のダラット。1500メートルくらいで軽井沢に相当。フランスが使った50年代の建築物、世界遺産を狙えるか?文化面の強化、消費の高度化で中所得の罠から脱する。JICAも協力してProjectを。農食環境クラスター、ブランディングも重要。工業一辺倒とは違う。政府関係者も提唱する人間が多くなった。農に帰るという方向性。ベトナムに注目する点。

 

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