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小山田圭吾氏を許すということ。

小山田圭吾氏がオリンピックの開会式の音楽担当を外れ、彼の作曲したメロディも使用されないことになった。90年代の音楽雑誌にイジメをしたことを自慢げに話して掲載されたことに、反発の声が強くなったのが原因である。どうも事前にresearchをロクにしていなかったらしい。当人にとり悪いことをした自覚があるかどうかは分からない。後は謝罪したから許されるべきというコメントもあった模様である。露悪主義というか、自分がした悪事を大々的に自慢するというのは人間心理としてあり得ることであろう。しかし小山田圭吾氏を許すのは、当の差別行為で傷つけられ雑誌記事で更に傷づけられた被害者の方である。加害者の側の人間が許すというのは如何なものかと考える。まあ私もそのような行為をしなかったとは断言は出来ないけど。