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「師弟関係」という文化(教育文化の社会学第10回)

研究者の養成では全人的な関係が前提になる側面はあるのではないかと思う。大学で同じゼミに属していた人間とよく話すのだが、ゼミの師匠に何処かしら似ているのは共通している。

 

稲垣恭子。日向ひまわり。師弟関係という文化。どの社会でも文化を伝達伝承する営み。教える学ぶの関係が中核に。先生の関係で習得することも変わる。学校の先生だけではない。学校がない時代には弟子が集まり伝授された。文化やスポーツの世界での。師弟関係。師匠と弟子。学校の先生と生徒の関係とは違う。落語や講談の師弟関係は学校の中だけではない。一日の大半を一緒に、長期にわたり続く。人生のモデルとして尊敬。一般的教育関係には見られないが、80年代までは擬似的なものが見られた。恩師、〇〇門下。サークルの先輩などを師匠や人生の師と。自分の人生モデルとして。師弟関係はある意味原型とも言える。現代における学ぶ教えるの意味。講談師の日向ひまわり。修行をされて真打ちとして。修行時代などについて。
入門された頃からの。最初に入門されるきっかけ。広島県の出身。駅もない田舎町。高校卒業手前に何か自分しか無いものを手に入れたいと。声優さんになりたいと。目指して東京に出た。声優や話すことを学ぶ専門学校に。リポーターやナレーターや司会者になれればと。園芸などに出かけて、その中に寄席演芸に。山陽が楽しそうに講談をしていた。講談は知らなかった。素敵だと興味がわき追っかけ回して芸に触れるので1人で人物を描き想像してもらう。講談も良いかなと思い始めてやってみたいと。入門というものがあるらしい。弟子にしてくださいと。容易にはいいよとは言わないが。ひ孫のような女の子がやってきて、可愛かった?結構安易に許すというか嬉しいと喜んでくれるかのように。大丈夫か見極める期間を数ヶ月。弟子入りを許してもらう。割とスムーズに。その代わり入ってからが。上下関係の特殊なことが分からないで入った。姉弟子兄弟子が怒ったり、しきたりや上下関係を。入ってから前座修業をして時間がかかる。兄弟子や師匠との関係。入門日が1日でも早いと先輩に。平成6年には10代での入門が珍しかった。落語の寄席で前座修業を。高座には専門のところが無かったので、山陽が落語芸術協会に所属をさせてもらい落語の人とともに。先輩の前座の人が色々教えてくれた。カラスが白いと言われれば白と。休み無しが数年間。休みくださいという方がおかしいと教わる。そのおかげからか休みがないことの苦痛は感じなくて済む。それこそ身の回りの世話をして師匠と同じ空気を少しでも長く吸うことで覚悟を染み込ませる。細々やらせてもらい落語の世界で修行を。寄席に出かけて太鼓を叩いたりと。終わると師匠に行き一日の報告をして近くに住んでいたので四畳半共同トイレに帰り寝る。雨露しのげればよかった。親からは一切仕送りをしてもらわないようにと。月5000円の光熱費込。何もわからないが半年すれば毎日やっているので大抵のことは出来るように。半年経って色々出来るようになった時に前座の修行は何故4年間するのかと。二つ目に昇進させてもらえても良いのではと感じながら前座修業を。指導役の落語の先輩が。舞台の裏に連れて行かれて、やる気がなければ帰って良いと。何処がいけませんかと。言ったとおりやっているがそのままだと身につくことはなにもないと。楽屋入りした師匠にお茶でございますと。頃合いを見計らって出しているのかと。自分の都合だけではないかと。相手のことを第一にして動いていないと。何が足りないかが分かり気持ちを入れ替えて。毎日の小さなことにもやりがいが感じられて色々とやっていたら楽しくてやりがいもあると。お客様にも繋がる。師匠が気持ちよく舞台に上がるとお客様もきっと楽しく。よりやりがいが持てるように。今思うと芸にも全てが繋がっている。ただ修行するにも色々な意味が含まれている。段々に師弟関係も変化。入門当時は師匠のことがよく分かっていないので互いに距離があり差し障りのないように。2年3年で少し砕けたように話すことが出来るように。内容も変わってくる。師匠が全て完璧であったという訳でもないので、えっと思うこともあったけれど。それ以上に師匠に人として尊敬しているので何かあっても上回ることが沢山あって信頼関係が崩れることは無かった。講談を本当に愛していた。純粋な思いは敵わない。講談をして楽しんでいたらしい。芸人になり高齢まで高座を務めていたが。講談は生で聞いたことのない人も多いので。山陽は講談が大好きで少しでも多くの人に届けたいと。女性の講談師を育てることで世間の目が向けられて。初めて聞く人や再び聞く人が。死ぬまで持ち続けていた。尊敬以外のものはない。敵わないが少しでも前を向いて。かなり懐の深い人。受け継がれたものもあるが女性の講談師ということで師匠の意思と違ったりすることも?入門した当時は高齢だったのでお稽古をつけてもらうネタが分かりやすいものばかりだった。本来は修羅場という芸が土台に。修羅場を重点的に稽古をつけてもらわないまま女性向けのものばかりを。初心者だったから有り難かったが、読み物というネタが講談になっているのかどうかが。形は講談だけど胸を張って言えるかどうかが。ネタを覚えてしているつもりでも実感が沸かないまま。不安にかられて。女性たちは個性を打ち出しているが自分にあっている芸ができているか。講談をしていると言えるか。入院を繰り返して稽古もままならない。この芸が私の目指す講談だと。宝井琴柳。最後に修羅場を読まれた。その修羅場が戦話で理解できないが見開きで描かれていた戦絵巻が浮かぶ。修羅場というものを。それから先生に通って半年後くらいに稽古をつけてもらいたいと。他にも一杯いると断られる。嫌悪感というかなんで来たという顔を。諦めきれないで。講談師として生きていけないと何度も掛け合って。前座修業をしながら根負けして。一回クリアーにして修羅場から。迷っていた時期に出会い稽古をつけてもらう。本当に稽古自体も大変。1ページ台本をめくるのに3ヶ月かかる。手取り足取りではなく違うところを言ってもらえない。お手本のようなものを取らせてももらえない。先生が高座でやったものを想像しながら自分で読んで。修羅場が終わって別のネタを。ある程度の土台ができた上なので言いたいことも分かり不安も解消される。先生からの注文の数は増えていった。下手になっている?先生にぶつけたら更に次のステップに。数は増える。なだらかな曲線で伸びていくのではなく。元々に戻ったりしながらぐんと上がる。横ばいのことが多い。日々成長という考えでは駄目で、いつかわからないが成長すると感じられるまで耐えるしか無いと。プログラム化されるのとは全く異なる学びの関係。全てを含んで人生勉強も含めて。芸は人なり。最後は人。どのように生きて何に感動するかなどがにじみ出る。昇進手前に芸の稽古はこれからも続けなければならないが、人としての修行をもっと積むべきだと。狭い世界だから色んな人との出会いを増やさなければと。これからはそういう勉強こそが必要だと。理不尽なことも多かったし女性だからと甘んじないことも。たくさんのことを自分から学ぶ。してもらったという関係ではなく得られたものを次の世代に。立場が変わってきてそう思うように。沢山のものを。稽古をつけてごちそうになって全ては無償。上の人には形で返せない。自分の後輩にしてもらったことをそのまま下の世代に。今は後輩に返していかなければと。プロであるということ。芸の世界ではお客様にウケなければならない。売れたくない芸人は居ない。沢山の人に喜ばれ売れることが。売れるために手段を選ばずということは師匠先輩からの教えが染み付いているとなかなかできない。下品になるな。お客様にウケたいからといって脇の下をくすぐることがやることなのかと。押し付けることではなくお客様が感じて。決して品を損なうなと。心のなかにはそれがある。精一杯の芸を届けて楽しんでもらうことが大事。これからも忘れないで高座に上がりたいと。
神田ひまわり。師弟関係について。現代の教師と生徒の関係と異なる。カリキュラムではなく師匠や兄弟子と全体的関係から学ぶ。修行には時間がかかり我慢することもあるが、その人だけの芸が。上から下へ教え込むよりそのまま習うのではなく。現代の社会では少なくなっている。短期的互酬性を前提にした。発言をずっとフォローしたりといった擬似的な師弟関係が。短期的で機能的な関係とは違う全人的な関係として。結果と結びつける現代の教育。再興も重要な観点に。

 

教育文化の社会学 (放送大学大学院教材)

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子ども・学校・社会―教育と文化の社会学

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