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専門家の自立性と政策決定(公共政策第11回)♯放送大学講義録

-----講義録始め------

 

しかし、注意しなければならないのは、2つの専門家を適切に組み合わせることがいつもできるとは限らないことです。ここでは、どこまで専門家や専門職に委ねるのかが絶えず問われることになります。専門家が重要だとしても、民主的な基盤を持たない専門家が決めて良いことにはなりません。言い換えれば、政策領域に関する専門家を使った判断が尊重されることを自立性と捉えることによって、どのような限界があるのか考えていきましょう。

最初に取り上げるのは、評価的活動の自立性です。評価的活動を担う組織を制度的に分離すれば、それだけで自律性が確立できるわけではありません。そのことは、例えば権力分立の観点で独立性が保証されている裁判所や会計検査院といった機関ですが、民主的な統制を無視することはできないことからもわかります。人事権は内閣が持っているからです。

管理的活動を担う政府と方針が鋭く対立するような場合、どちらの言い分を人々が受け入れるのかにかかっています。評価的活動を担う組織の評判が確立し、権威を持っていれば、自由に判断できる幅がそれだけ広がることにもなります。逆に、評判や権威が低いと、評価が骨抜きになるなど、結果として管理的活動に生かされないことにもなります。さらには、そもそも組織を廃止されたり改組されたりすることにもつながることがあり得ます。

この点、評価的活動の難しさは、不確実性を対象とするが故に、絶対に正しいと言い切れないところにあります。要するに、間違う可能性が絶えずあるのです。万が一間違っても仕方ないと世の中から思ってもらえるように、日頃からの評判を積み重ねておく必要があると言えるでしょう。もっとも、評価的活動に絶対に従わなければならないわけではありません。管理的活動は、社会的、経済的な様々な利害を勘案して最終的な判断を行う行為ですので、評価はそのための材料に過ぎないからです。

しかし、往々にして、本来決定の責任を負うべき管理を行う側は、評価を担当する機関の評価を持って自己正当化を試みます。例えば、BSE事件の後にアメリカから牛肉の輸入を再開する際に、本来評価のみを担う食品安全委員会の科学的評価だけを根拠に輸入再開を正当化しようとしたことが知られています。重要なのは、どのようなプロセスで決定に至ったかに関する透明性を確保し、管理的活動を担う政府が自らの判断基準を示して説明することです。