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教育改革の根底にあるもの(海外の教育改革第1回)

ある意味で各国の教育が似通ってきているのなら、様々な事例が参考にできる時代になっているのかもしれないと感じる。

 

坂野慎二。海外の教育改革。先進国他諸国の教育改革。教育の方向。教育改革が世界の多くの国で。OECDやEUという機関の教育改革。多くの国で共通して進行。
21世紀に入り多くの国で同時に教育改革が。共通のものが多い。経済成長の確保を。教育と経済成長の関係。OECDの教育改革。PISA調査。大きな関心を。00年から3年毎に。参加する国地域が増えている。フィンランドには各国がフィンランド詣でを。OECDが公表している図表でみる教育。何故OECDのPISA調査が影響を?要因の1つは国際学力調査とは異なる能力を。キー・コンピテンシー、リテラシー。知識の質を調査。3つの能力。読解力、数学リテラシー、科学リテラシー。従来の学力観から抜け出す。新しい能力観。国家観の転換。各国は多くの歳入を前提として福祉国家を目指した。73年の石油危機を経て景気後退により各国の財政は悪化。福祉国家像の修正を余儀なくされる。効率的な体質、お金をかけないのが不可欠に。79年から90年のサッチャー政権やレーガン政権。ニューPublicマネジメント。グローバル化の進行。市場の拡大。労働者の移動が活発に。企業のグローバル化、国家が障壁に。産業構造の変化。先進国では重化学工業から第三次産業、情報産業に。必要とされる能力が変化。効率的な教育投資が重視される。国際機関による教育改革。教育政策に。
UNESCOは途上国を含めた教育のあり方を。先進国はそれほどでもない。OECDとEUを中心に。OECDについて。61年に発足。前身はOEEC。アメリカのマーシャル・プラン。60年に新たな経済協力組織を。翌年に30カ国で。64年に日本も加盟。先進国の集まりとしての性格。14年現在34カ国。68年に教育革新センター。70年代にかけて各国の教育を分析し報告書を。日本では71年に報告書を。マクロレベルだったのが70年代前半からミクロレベルへと研究が変化。83年からの教育革新センターの学校改善計画。日本も参加し成果を学校改善における研究を。80年代に始まった教育改革は効果の検証が重視。OECDの事業は88年に開始。図表でみる教育が最初に刊行されたのは92年。97年から08年まで明日の学校教育プロジェクトが。15歳の生徒を対象とするPISA調査。dataに基づく教育政策の重要性が。2011年の図表でみる教育。学校の質保障に。説明責任、学校外部評価などの学習環境などの政策を推奨。圧力となる可能性が。学校教育の成果を測定するためのものがPISA調査。教育システムの評価のために義務教育の終了時の15歳に。3年毎に実施。国際学力調査には算数数学理科調査などがあった。知識や技能を活用してどのように回答を導き出せるか。能力や技能の調査。12年の調査。65の国地域。イギリスは緩やかな低下傾向。アメリカは平均点かそれ以下。Europaの中で得点が高かったフィンランドは読解力や数学リテラシーの低下傾向。ドイツは徐々に上昇し12年は平均を上回る。アジア諸国は高い得点を維持。アジア諸国に特有の要因がある?各国のマスコミで大々的に報道されている。01年のドイツでPISAショック。日本にも学力低下と騒がれた。日本は09年調査12年調査では成績が上昇。数カ国共同で学力調査を。61年度から6年間一斉学力調査が。しかし多くの混乱があり中止した。07年から学力調査を。小学校6年生と中学3年生を対象に。OECDが教育に深く関わることになったのは、労働力の育成が重要な課題になったから。人材開発の基盤に。70年代にはリカレント教育などの生涯学習の重要性を。成人の能力を測定する枠組を作成しつつある。国債成人リテラシー調査などを実施。99年から02年に実施したコンピテンシーの。学力や能力の概念を整理統合。キー・コンピテンシーへと。それを元にしてOECDは国債成人力調査を。16歳から65歳を対象に。読解力数的思考力など。日本が最も得点が高い。OECDや世界各国に影響するのがEU。超国家的なシステムを構築しつつある。欧州議会など。リスボン条約。政治的経済的な統合が。課題も山積。加盟国の拡大で決定までに時間がかかるなど。各国の独自性を重視する立場からは官僚制の肥大化が。ユーロが導入されて経済領域における統合は進みつつある。教育においても枠組が。99年の宣言。多くの国の教育政策に影響を。各国の教育データベースを作成して各国がそれぞれの立場で共通化に向かう基盤を。02年3月に教育と訓練2010が採択。質保障や参画。実施計画も策定。教員養成と研修。ICTへのアクセスなど。教育政策は進捗状況が16の指標で評価される。99年にボローニャ宣言。共通の高等教育圏を。労働市場の共通化を目指す。各国政府は大学の学習過程をバチェラーとマスターの二段階として単位数の共通化を。08年には欧州資格枠組。EQFを作成。学校教育の修了は8段階に類別。学校教育制度の評価の枠組みが作られる。
超国家的な教育政策。各国の教育改革の文脈への位置づけ。第一の教育改革。義務教育制度の導入。宗教改革の影響で新たな宗教教育の模索がきっかけ。国家による教育を庶民に実施。市民革命による近代国家の成立と産業革命によるシステムの変化。フランスではフランス革命でカトリック教会の宗教教育とは別の国民教育を構想。イギリス。従来イギリスでは救貧法が教区に。産業革命がきっかけで初等教育を。精神的荒廃から守る。19世紀前半に改正された工場法。雇用者に教育を義務付ける。国家による初等教育義務。イギリスでは70年の初等教育法。アメリカでは19世紀後半。プロイセン。48年の憲法などで規定。第二の教育改革。前期中等教育までの義務教育の延長。ドイツ。イギリス。第一次世界大戦後。教育機会の拡大。バトラー法。モダンスクール。多様な中等教育機関が併存。アメリカ。公立ハイスクールの拡大。職業向けの科目も。出身階級階層に関わらず優秀な子供には進学の機会を与え階級形成の緩和。第二次世界大戦以降。各国で福祉政策。高い税収入を背景として医療福祉教育に投資を。60年代には教育爆発の時代に。イギリスでは60年代には共通学校が普及。フランスでは60年代に進学希望者の増大で75年の改革で単線的な学校制度へと。教育機会の拡大。大衆化を促進。高等教育の大衆化が始まる。学生紛争。多くの国は国立大学の無償化を。石油危機で経済成長が停滞。福祉国家論が息詰まる。財政赤字を削減。自由を重視する政策へ。サッチャー政権やレーガン政権。国家の少ない財源に見合った歳出の削減を。民間活力の導入。医療や福祉、教育の領域で予算削減。国家などの共通テストによる生徒管理と学校評価。学校選択。ニューPublicマネジメント型の教育政策。必要な教育を、という理念より人材育成の教育。教育より獲得する能力の変化。キー・コンピテンシー。問題解決能力など、学校教育が目指す能力の検証が必要。アンゼルセン。社会民主主義型、保守主義型、自由主義型。福祉政策を。イギリスでは保守主義型から自由主義型に。自由主義型はアメリカなど市場重視に。社会民主主義型。北欧諸国。税負担が大きい分教育支出も大きくなる。個性化個別化した教育。保守主義型。ドイツやフランスなど。福祉で一定の市場化。インプットからアウトプット重視へ。家族主義型。アジア。経済成長のためにグローバル化の影響。共通性を見出すのは容易。投資に見合ったアウトプットを。測定。OECDやEU。比較の対象と成り優位性が論じられる。尺度となるテストの導入。dataの活用。質保障の枠組み。学校システムの質アクセス内容開放性効率性。16ある様々な指標に。インプットとアウトプットを指標化。人的資源を高めるための人材開発競争。
それぞれの国の独自性から、学校教育の義務化などの展開。高等教育の量的拡大。教育の機会が提供される。石油危機以降、国家観の変化。資源に見合ったアウトカムを。効率的な教育システムかをPISA調査などで。しかし個人的個別的営みを目指すものでもある。変化する社会における対応力などの教育も重要。

 

海外の教育改革 (放送大学大学院教材)

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