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思春期・青年期の心のあり方(思春期・青年期の心理臨床第2回)

前思春期という概念は初めて聞いた。その頃の自分が何を考えていたのかはすっかり忘却の彼方だが。尾崎豊は何時になっても聞くのが辛くなるのはどうしてだろう?

 

大山泰宏。思春期青年期の心のあり方。思春期青年期という時期が心理学の探求の対象となるのは?大人たちがある種のあこがれを含みつつ研究する。最近の若者は、という言葉。いつの間にかつぶやくようになっている。相当昔からある普遍的なもの。大正時代に学生に対して、悪い状態になっているとのニュアンスを含んだ。メソポタミアやエジプトの文明にもあった?都市伝説だろうけれど。自分が若者であった頃の感覚を喪失しているというGapが。普段は忘れてしまっている。代表的な時期というのは前思春期という時期。思春期より前。身体的な変化より前に存在。体がおとなになる前に心のほうが大人に。時期的には小学校3年4年から。潜伏期とも言われていた。何かが潜んでいる。その前は落ち着きがない。3年4年の頃は言うことを聞くようになりおとなしくなり扱いやすいと。外見からはそうだが。心のなかでは地殻変動が起こっていることがわかってきている。重要性が見直されている。前思春期。私の心のあり方。自分が死んだらどうなるかを。自分は分からないから生きたつもりになっている?実は死んでいるのに分かっていない?宇宙の向こうは?横断歩道を歩くときに白線の上を歩かないとおかしくなるなど。思い当たる節がある?しかし忘れてしまっている時期。前思春期に子どもたちが様々なことを。自分が寝ている間に父や母は人間の皮を脱いでいる?父や母は本当?親に聞いてみると橋の下から拾ったと言って傷つけたり。カーテンの外の世界は自分が見ている世界と同じ?蟻の行列を見ていて、自分はなぜ蟻でなくて人なのか?前思春期という時期はそれまで自明であったものが当たり前でなくなる。疑いもしなかったものが疑問に思える。それを対象化してそこから出て見つめることの始まり。自分にも向かう。自分に違和感を。自分というものを意識。世界の自明性が失われる。自我体験。ビューラー。シャルロッテビューラー。自我の構造的変化があることを突然に意識化。自我を突然極限性において経験する。自分が孤独に感じる。極限において経験される。ある青年の日記。夏の盛り。私は12歳。非常に早く目覚める。外の木々の葉を見つめた。瞬間に自我体験を。自分が浮かんでいるように。私の中の第二の私が向かい合う。無意識的にみなしてきた周囲の世界からの肉体的分離。個体として感じた。何か永遠に意味深いことが起こったことを予感する。突然なんの前触れもなく。私であることが揺れて自分を意識。一体となってきた世界から分離して変わってしまった。宮崎駿「千と千尋の神隠し」。前思春期の心を描写。千尋は神々の世界に。自明でなくなる。当たり前だった親が豚に。心のあり方というものを感じることができる。前思春期の心の変化はなぜ?脳に変化。大人の体になる前に大人の脳に変わる時期。特徴として突然神経衰弱ができなくなる。大人は勝てなかったけれど。子供は感覚記憶で位置を覚えている。大人は関連付けたり抽象化したりしていて記憶するので全く違う。前思春期以前の子供はダイレクトに覚えている。前思春期になると記憶のメカニズムが変わる。カテゴリー化して覚えていく、前思春期より前のこども。1年後も10年後も区別しない。前思春期では1年後と10年後を区別。数値と関連付けて時間を。算数のカリキュラムに分数や速さが入ってくる。分数は数と数とを操作して。小数は現実の世界。1を3で割れば3分の1。なぜ3分の1の3倍は1なのか。抽象的なGapがあるが分かるように。速さは目ではなかなかわからない。時間と距離の2つを関連付ける。概念を組み合わせて操作してより一段上の抽象化ができるように。認知的変化。抽象的なことを考えることができるようになる。ありそうもないことを考える。当たり前のことがそうでなくなる。大人に見られる精神疾患が。強迫神経症。手を洗っても汚いと感じ洗い続けるのが止められない。摂食障害。食べるのは自明のことだがなぜか食べられなくなる。生きることに包まれた世界から出てしまう。統合失調症につながることも。心の地殻変動。闇に開かれる。前思春期。心にとり危険。大抵は忘れてしまい人生を生きている。
思春期。前思春期のあと。身体の変化。男女の生物学的生理が。生殖が可能な身体となってくる。生物学的な変化が起こるので、心の変化も。個人差が非常にある。異性というものを強く意識する。感じたこともない感情を。気になってくる。異性の親に対する、距離感を感じ恥ずかしさを。否定的な気持ちを。男の子は母親と手を繋がない。女の子は父を毛嫌いする。一方でこっそりと甘えてくることもあるが。アンビバレントな。身体が変化する。ホルモンのバランスが変化。気分が高揚したりイライラしたり。口答えや悪い態度を。親は突然の変化に驚く。想像もしていない。このときこそ驚きの中を親が生き抜くことが大事。自分が崩れてしまわないでしっかりと子供を見守ること。思春期には子供は大人に比べとてつもない課題が。子供の自分から追い出される。自分でなくなる。新たな自分が猛スピードでやってきて受け入れなければならない。どんな意味があるのか、どうなっていくのか分からない。何かを目指さなければ。闇の夜を歩くようなもの。他者の助けが最も必要だが、他の人に認めてもらうことが助けに。親の支えが重要に。大切なのは無条件に自分を肯定できて愛することができるか。自分が無茶苦茶になるが支えていくことができる能力。思春期より前の親子関係で育まれる。自己肯定感が心に残っている。親に口答えをしていても残っている。親は揺れる。子供に嫌われたりして傷つく。このときに親自身が自分を肯定できているかが問われる。自分を否定しては子供を包み込むことができない。自分を抱えていくこと。親が子供を前にして自分を抱え続けることができるか。思春期の逃げ場がない心。自分が何なのか分からない。尾崎豊の「15の夜」。中二病?15歳の思春期の行き場の見えない心を。この時期が過ぎて青年期に。周りが見えてくる。新たな海の世界に。楽しめる時間も見えてくる。情報も入る。反抗期はあるがイライラしたりするのとは異なる。わけもなく反抗するのではなく、ある価値観に基づく。大人社会への反発。理想とのズレを感じる。青年期には自分が理想とするもの、熱中するものが出てくる。自分を投影させる。メディア経由で憧れの人を。自分探し。自分を否定し続けるのではなく、自分を社会に結びつけるという厳しいもの。青年期は自分を社会に位置づける作業をする時期。何かを探し求めて人とのつながりを作らなければならない。自分というものを社会と結びつける。大人になるということ。逆説的だが、青年期のゴールは青年期が終わること。尾崎豊「十七歳の地図」。青年期の歌。暗闇で先が見えない、行き先が分からないのに対し、地図というから俯瞰する視点が。青年期の視点が。人々の視線にドラマを感じる。どんな生き方になっても自分を捨てない。柵の街だから自分を生きてみたい。15歳から17歳までの変化。生きていくという決意、世界と結びつこうとする。夕日に象徴するように。2年間の変化は実際の変化に即する。非常に速い変化を。どのように付き合うか。思春期青年期の心理学を。生き方を模索する子供に模範を示すことは非常に難しい。親を否定し乗り越えるのがテーマ。子供を否定しても育たないし、親がわかりすぎてもだめ。親の手のひらの中にいることになってしまう。親はどのように?一つの回答があるわけではなく、一つ一つの事例の中で。私と父親の思い出。父は学校の教師。非常に勉強家。中学まではこんな事も知らないのかと否定する。あるときに数学の問題を聞いてみると、父はどうしても解けない。やり方を見るとしちゃいけないやり方をしていて、冷ややかな目で見ていた。そのときに自分を恥じるような目を。優越感を。ところがその夜に寝る前に中学校の数学の参考書を。一生懸命に。勉強し直そうとする姿勢。最大の教育の一つ。

 

思春期・青年期の心理臨床 (放送大学教材)

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