F-nameのブログ

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辛苦。

辛い目にあって、苦しい思いをすること。日本での戦中戦後(ここで言う「戦」はアメリカ等との太平洋戦争である)は辛苦を重ねた方は多かった。今でも幼い頃に親を亡くした人間は同じであろう。私は幼少の頃には親を亡くしていないし、育ったのは昭和40年代以降なので戦中戦後でもない。それでも辛苦が無かったとは正直言えない。大半の人も同じだろう。しかし中学3年に経験した地元高校集中受験運動というものは余計な5ものであったと言える(何度も書いてきたことだけど)。高槻市は今からでもいいからこのような運動を起こした(何しろ校長から関わっていたのだから教育委員会ぐるみであった)ことにつき謝罪すべきではないのだろうか。