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結核:歴史と現代対策の全貌(感染症と生体防御第1回)#放送大学講義録

ーーーー講義録始めーーーー

 

結核の概要と歴史的流行

結核は、抗酸菌である結核菌(Mycobacterium tuberculosis)による感染症で、典型的には肺結核として現れますが、全身に感染する可能性もあります。かつては最も多くの人命を奪った病気のひとつであり、19世紀初期には、世界の死因の約2割を占めていたという報告もあります。たとえば、ドイツ・ハイデルベルクで発掘された約9000年前の人骨の第4および第5胸椎には、結核カリエス(結核性の骨破壊)の跡が認められており、結核が人類とともに古くから存在していたことが示唆されています。

18世紀のイギリスにおいては、産業革命に伴い都市への人口集中が進み、劣悪な住環境と長時間労働により、労働者階級は感染症による死亡リスクが高まりました。特に、ロンドンなどでは、石炭使用による粉塵や不衛生な環境が呼吸器疾患の蔓延を招き、結核も広く流行しました。当時、労働者階級の健康問題は個人の責任ではなく、政府による衛生改革の必要性が強く訴えられるようになりました。

日本における結核の流行は、明治期以降の近代化・工業化とともに始まりました。明治以降、絹や絹織物が主要な輸出産業となり、国営紡績工場や製糸工場が開設され、主に若い女性労働者が従事しました。これらの工場は閉鎖された空間で、埃や糸屑が飛散する劣悪な労働環境の中、長時間労働と集団生活が強いられたため、呼吸器疾患や結核が蔓延しました。

さらに、第2次世界大戦後の混乱期には、貧困や低栄養が重なり、結核は「国民病」として広く認識されるようになりました。1950年代には、年間約60万人の結核患者が発生し、結核罹患率は人口10万人あたり約700人に達しました。結核患者が最も多かったのは昭和26年頃で、当時は効果的な治療薬がなかったため、胸部レントゲン写真による検診制度などの対策が講じられました。

その後、国を挙げた結核対策の成果により、2007年には結核の罹患率が10万人あたり20件を下回る水準まで改善しましたが、欧米先進国と比較すると2~4倍の水準に留まっていました。当時の年間患者数は2万4000人以上でした。2021年には結核罹患率が9.2、2022年には8.2にまで低下し、日本は結核低蔓延国の仲間入りを果たしました。しかしながら、新たに登録される結核患者の半数近くは高齢者であり、これは戦前・戦後に感染した世代が高齢化して発症していると考えられます。高齢結核患者の多くは呼吸器症状を訴えず、発見が遅れるため重症化しやすいのが現状です。また、結核に罹患しやすいのは、社会的・経済的に弱い層に偏在しており、これが院内感染などのリスクを高めています。特に、若い世代の看護師、事務職、病院受付なども感染のリスクにさらされています。