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社会科学の文体(日本語アカデミックライティング第13回)

客観的な議論が出来なくなっているのは現在日本の宿痾であると感じる。

 

草光俊雄。滝浦真人。社会科学と言っても広い。文体という用語も。社会科学はたしかに幅の広い学問体系。経済学法学社会学など。それぞれの学問に歴史や理論が、文体や文章の書き方も様々。それでも共通のものが。経済学。数学を使った違う世界。法律も独特の体系。社会学は様々な状況を表すので規範的なものとは違う。歴史学も社会科学的に出来る。人文科学にしても社会科学にしても根っこはモラルフィロソフィ。自然に対する人間。ナチュラルフィロソフィー。フィロソフィーは哲学ではない。人間と社会に関する学問としてのモラルフィロソフィー。心理学などもモラルフィロソフィーから出発。人間に関する、人間が作り出した学問。ヒストリーも幅が広い。ナチュラルヒストリー。自然史。同じ経済学でも経済学史もあれば経済理論もある。経済政策も。言語学も多様。言語学自体がかなり新しく。近代言語学は100年ちょっと。急速に進歩し専門化もしていて細かく分かれる。認知言語学や社会言語学など。生成文法。チョムスキー。少し違うと話が通じない。新人類みたいな研究者は言葉が通じない。非常に多様な細分化した学問分野が一方にありながら、それでも共通性もあるだろう。では社会科学は?科学性。客観性に担保された。何が科学性?社会科学のそれぞれの学問が大学制度の中で講座となったり学部として認知され講座が出来る。教育内容の制度化。科学性に理由を。歴史学は古文書や文献、史料に基づいた研究。根拠が常に確固でしっかりとしている。戦後は特に、歴史人口学などの計量経済史。数学や統計学で操作や運用が出来る史料がたくさん出てきた。ケンブリッジ学派。統計史料はオペレーショナル、運用可能、適用可能。仮説を作り上げた時に膨大な数値的なものをコンピューターに取り込む。数字が色々説明して様々なことが分かる。イギリス中の、生まれたときの洗礼や結婚した時、埋葬された時。キリスト教徒は人生に必ず3回記録が。教区の記録をイギリス中から集める。平均死亡年齢が割り出せる。それが科学的。同じ基準を適用して。運用性。科学性があって客観的。歴史人口学に限らない。色んな形で。
客観性。客観の反対は主観。社会哲学的に客観性を。ウェーバー。認識の客観性。分かりづらかった。学問における客観性。厳密ではないが、主観ではないということ。自分の考えを自分勝手に思い込みで、それを論文に書かないことに尽きる。主張はいいが、それは声を大にして言いたいこととは違う。手続きを踏んで自分の主張を。読者を想定して。自分の言いたいことを客観的手続き、史料や論理的に破綻のない文章。説得力を出せるように。きちんと辿っていけるということ。予想される反論を踏まえながら、繋がっているということ。接続表現。破綻のない論理。文章を書いている時に、相手に分かってもらえるように文章を繋ぐ。言い足したり言い換えたり。言いたいことが分かる時点である意味では客観性を。反対されても良いが、それでも書いていることをきちんと分かってもらえるように。結論が必ずしも同意されないかもしれないが。問題を何処で見るかにより結論が変わってくる。自分としてはこちらが重要。違う結論の相手の議論も同じように辿っていけば結論に至る。歴史学の論争は沢山ある。ピューリタン革命。産業革命。人類に取り大変な出来事。人々の生活が現に変わっている。19世紀後半には呼び方も含めて既に議論がされていた。生活が悲惨な労働者が。多くの物がたくさんできて生活が豊かになった。史料が出てきて色んな論争が。戦後になってリバイバル。悲観論と楽観論。新しい史料で補強。坦々と議論する。日本の論争は相手を罵倒したり無視したり。歴史認識。相手をこてんぱんにやっつけるために論争を。立場が違っても新しい史料を見つけたり読み方を変えたりなど新しい提案を。ある面で相手の言うことは正しいとしながら客観的な議論を。史料の客観性。お互いが信頼している。如何に客観的に考えるかが重要。史料を集めて学問の信頼性を。オープンな議論。相手の立場で理解できることはそれを認め、裏側では違うとする。議論が発展していけるのが社会科学の客観性にとり重要。論争ということが成立しづらいのが最近の日本。論争が始まると罵倒が始まる。相手を遮って主張。学問にも影響している。大変良くない。
史料やテクニカルターム。オーラルヒズトリー。聞き書きは信頼できない?文献資料も操作しているかもしれない。文献資料以外に聞き書きや発掘資料も。人類学でのフィールドワークで集める伝承史料。史料は沢山ある。そうした史料をひっくるめてどうやって自分の研究に活かしていくか。どこに光を当てて論文を書くか。文献資料でも一次資料や二次資料。イギリスの地方の文書館。手紙を読んだり。一次資料は手書きの史料だったり古文書だったり。印刷されてもその時代に発刊されたものだったり新聞雑誌だったり。二次資料は参考文献。一次資料を引用しながら検討して書く。本当かどうか信頼性の問題。言語学でも歴史的な語用論は昔の裁判記録を扱ったり。色んな身分の人が証人で。魔女の疑いを持たれた人やその家族、裁判も推定有罪だったり。如何にも魔女が言いそうなことを編集している。裁判記録は庶民の生活の記録に。
専門用語。知らなければ勉強を。使わなければ議論ができない分野も。しかしテクニカルタームばかり出てくる論文も困る。ジャーゴンという悪口。文学研究には沢山。何を言っているのかちんぷんかんぷん。得意になって書いているけれど。言葉のサラダ。
最後に仮説と実証。実際に客観的な社会科学の論文の書き方。仮説を立てて実証していくのが論文の書き方。では仮説はどうやって立てるか?その前に仮説とは何か?推測や憶測を仮説と呼んで良い?勉強していて疑問点が。推測や憶測も馬鹿には出来ない。勉強の手がかりになる。勉強が進んで修正されてくる。更に修正して色々な考え方が返ってくる。自分が好奇心から進めてきて回答がこのようではないかというのが仮説。幾つもあって良い。どうやって相手が納得できるように仮説を挙げて検証できるか。論文を書く醍醐味。検証や論争を考えがちだが、書き初めで仮説を立てるのも違うのではないか。論文としての方向性。それを仮説として立てる。先行研究を見た上で初めて言える。仮説でなく憶測になってしまう。判断が難しいけれど。仮説と言っても根拠が必要。最後まで調べた上で仮説を書く。端書きや初章は最後に書く。自分でも相手でも納得できる仮説を立てる。実証をするためにも仮説が大事。統計の史料を使うにしろそれぞれが仮説の検証を。

 

日本語アカデミックライティング (放送大学教材)

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