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死(心理カウンセリング序説第14回)

そもそもカウンセリングというものに科学性を求めるのは間違っているのかもしれない。

 

森さち子。大場登。死の臨床。喪の仕事。死についての検討。
死ぬことの絶対的事実。フロイト。重さは人間存在そのもの。エロスというのは様々な神話の冒頭に。死が神話においてどのように描かれているか。死の起源。旧約聖書。初めは神によってエデンの園に。神は人をエデンの園に。あなたは中央の善悪を知る木以外なら何を食べても良い。妻を作る。裸に居ても恥ずかしいとは思わない。意識していない状態。蛇が女に近づき、死ぬことはないでしょうと女に言う。女と夫も食べる。目が開けた、人間が意識を獲得。裸で居ることを恥ずかしいと。あなたは何処に居るのですか。神は言った。人間は意識を獲得したことと引き換えに食物を獲得しなければならなくなった。命の樹。永久に生きるかもしれない。エデンの園から追放される。人間における意識の獲得と人間が死すべき存在となったこと、天国的状況から分離すること。全て1つのことの様々な面、一体のもの。表裏一体の。別れ、人間に課せられた分離という困難な経験。人間の死が神話の冒頭で描かれている。意識を獲得して天国的状況から離れる、死すべき存在に。有限の存在であるという決定的事実を引き受けること。神話の話と心理的カウンセリングと関係ある?カウンセリングで語られる事実は個人個人の単なる悩み事ではなく、悩みが無くなれば良いというものではない。人間存在に課せられた普遍的な問題。死と分離。抽象論でも人間にとり大変でも1人の独立した存在であるということ、子供でさえも別個の存在で、1人で抱えることが避けられないものであるということを。非常に具体的な課題でもある。親も死んでいく、パートナーも死んでいく、そして自分も死んでいく。そのことを引き受ける。
イニシエーション。Initiation。不正確な知られ方をしている面も。民俗学、文化人類学。宗教学で。通過儀礼と訳されることも。伝承社会でよく見られた。人間の宗教的社会的地位を変更させる。実存条件の根本的変革。成人式。今日の日本での世俗的なものではない。少年たちはそれまで所属していた家族から引き離され、死を経て生き返らさせ、神話などを教え込まれる。印を身体に刻まれて大人の仲間に。ある意味で未開、野蛮な。大人になるための重要な儀礼。死の経験、再生。それまでの存在のあり方と異なる断絶分離を。子供として死、大人として再生。宗教的社会的地位を。エリアーデ。儀礼が否定され聖なるものが否定された社会で。holly。Initiationが消滅した社会で。ユング。河合隼雄。75年になってInitiationの意義、という論文を。「心理療法論考」。昔はよかった?おとなになれない多くの人が。表面的世俗的な成人式。個人の困難さ。大人になることは後戻り出来ないというのことを認識するのは難しい。場合によってはInitiationへの示唆を、立ち会う役目をすることも。神話における死。死すべき存在。別個固有の存在。共同体の一員として生きることを引き受ける。限界を持った存在。汚れや汚い面を引き受けることが大人になるということ。それは限りなく困難なこと。大人への変容。不安症状、強迫症状の中に、大人になることが困難な人も。死というものが生じがち。ペットを殺してしまったりするアクシデントとして。悲しみや怒り。夢だけでなく。受け入れておとなになるということ。あらゆる変容には死が伴う。変容するとは異なる存在の在り方へ。それまでのものは死ぬことに。自殺企図。背景に変容やInitiationが隠れていることも。見逃さず一緒に見つめることが。
Constellation。コンステレーション。星座や星の位置。大体は不変だが。海王星や冥王星。一定の動きはするが、変化することも。要素、条件、状況などの複合した情勢、めぐり合わせ。不思議な符合。物事には因果関係があるだけでなく、場の勢いというものもある。易。内的なテーマに符合する外的現象が起こることは驚くほどある。死がコンステレートされることも。Constellationを読む。死というものがコンステレートされる。ときの意味や変容の意味。
Initiationに戻る。成人式。結婚、卒業、定年などの。結婚式。息子や娘として死んでいく。花嫁の白無垢は死の衣装。死の自覚がない結婚式。Initiationにはならない。息子や娘のまま、実家と切れずにトラブルが。近代以降の社会は神話的宗教的状況が消えて合理的な。Initiationが無くなっている、HAPPYなものになった。死の経験が無くなったという事実。
死について更に検討を。フロイトが発達を心理的性的発達と。3歳4歳ころに、赤ちゃんはどうやって産まれたの、と。どうやってこの世に?自然な疑問。意識を持つ存在の証明。この世の中にどうやって生まれでたものか。根源的な問い。弟や妹が生まれる時期だったとしても。小さい頃から向き合うこと。どのようにこの世に?子どもたちは経験的に、5歳6歳ころに、死んだら何処に行くの、という根本的問いが。祖父や祖母の死や葬儀がきっかけ?臨床的には必ずしもそうではない。何処から産まれて何処へ行くのか。投げかけられる大人を立ち止まらせる。現在においては根源的問を避けて現実へと逃げている。人間存在の根本的問に向き合う。ハウツー式の答えはない。生涯に亘り取り組む。教科書的答えでは満足しない。大人がその人なりの答えを語って初めて子供は納得する。ある6歳の子供がプレイルームに。死を意識している?箱庭に墓を。母親面接。流産をされた。夫婦とも思いを馳せることが出来なかった。小さな赤ちゃんがおくられているというマリア像などが箱庭に。マリア像が赤ちゃんを見送る。箱庭の枠の角に石が置かれ、中央の池に魚が。神様の国という別の箱庭。天国のイメージ。赤ちゃんと小さな子供。無意識的に取り組んできた作業は、小さな子どもの弔い。喪の作業。産まれようとして産まれなかった卵。この世とあの世の橋まで赤ちゃんを送り届ける。境界の石、墓を象徴。同行したのは子供自身。ある意味驚くべき、自然なこと。流産を送り届ける仕事は両親の役目だが、事情により喪の作業が出来ないのが人生。言葉にされない事情に明るいのは、子供、高齢者、障害者。小さな子供が引き受けるのは稀なことではない。心理的弔いを。きっかけのあるなしに関わらず、人間存在にとっての根源的問を。死んだら何処へ行くのか?神様の国というイメージ。父がどのように神話で語られるか。意識を持った人間が死んで意識を失うと、神の国に戻る。死者が赴く先のイメージ、彼岸。魂と表現されるのものは神の国に。何らかの事情で彼岸に行けない場合は、誰かが喪の仕事を引き受けることになる。ヨーロッパでも日本でも。非科学的?

 

心理カウンセリング序説 (放送大学教材)

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