F-nameのブログ

はてなダイアリーから移行し、更に独自ドメイン化しました。

通信教育で人生が変わった ~小説家・脚本家 中江有里~(放送大学特別講義)

勝手に放送大学の講義を聴いているのはいわゆる勉強に該当するのだろうか。

 

中江有里。通信制高校大学で。通信教育で。通信制を選んだのは、何を感じて学んだか。73年大阪市で。芸能界に入るまで。子供の頃は大人しかったと。頭の中で考えて言葉にしない。書籍を読むのは好き。「私と遊んで」という絵本。表紙が女の子で目を見ていたのを見て読んだ。一人で待っていると誰かがやってくると。自分と重ね合わせた。声をかけてくれる人はいると。「家なき子」という絵本。両親が離婚をして小5で転校。心細い時に書棚にあり長い間忘れられていたような。読み終わっていろんな事を。可愛そうだと思われたくなくなった。拾われて旅芸人になって。悲壮感を感じなくてどんどん成長している。自分は何も変わっていないと。中学に入ってから物語を書き始める。出るよりも脚本家に関心を。学校ではイジメがあったりなかなか勉強が上手くいかずにコンプレックスを。作りたいという自分と近づけない自分があって。芸能界というものが現れた。中2の頃に最終選考までオーディションで残り。可能性があるかなと。たまたま最後に残ったもので入賞して。違うことになりたいと思っていたから。高校1年生の時に上京して一人暮らしを。まず住まいが変わり。15歳の夏に一人暮らしを。ホームシックに。毎日夕方に電話して。日比谷高校の夜間部に。オーディションを受けて学校に行って。夜間部は夕方5時頃に。1時間目の後に給食を食べてから夜の9時まで。赤坂という賑やかな場所で慣れないまま生活も朝起きれなかったり乱れて。1年生の3学期に午前部に。午後に仕事なども出来たが。仕事が上手くいくと学校に行けない時期が長くて教室に椅子がなかった。学校の籍がなくなった。止めると言うのも納得がいかず。代々木高校の担任に通信制があるよと。毎日登校しなくても良いが、独学中心でも出来るのではと。新宿山吹高校を。高校くらい何とかなるよと思っていたが、高校卒業が出来ないのは想定外だった。仕事は恵まれているのに我儘?仕事先に迷惑をかけることが何度も。貫きたいという意地もあって。通信制高校は全く違った。知り合いが出来ない。基本的に週1回が投稿日だが1月1回だったり。学校の情報も細かいことが分からない。単位制だが情報がなくて。半年くらい悩みながら。知り合いが一人いてそれから仲間が。独学だがつまずいた時に助けてもらい。高校のレポートは問題に応えるというシステムだがなかなか埋まらない。スクーリングで1時間足りないで単位を落としたこともあって大きなショックだった。ずっと悩んでいた。モチベーションを保てたのは担任の先生の熱心な指導や仲間と経験談やアドバイスを貰って。甘えることをしないといけない。それまで苦手で怠けていると思った。独学は一人でという縛りを。自分でわからないことを発見して助けてくれる手段はあると。手助けができればそれをして。互いに支え合うのは通信制では大事。食堂で一人で食べてたら声をかけられた。泣きそうなくらい感動した。孤立してしまうのは良くない。声をかけられるようになりたいと。
高校を卒業して忙しい日々を。いつか脚本家になりたいとインタビューで。オオカミ少年というかそんな感じで。脚本を書きたいと思ったのは23歳に。NHK大阪に応募して入賞して書く仕事が増える。NHKのブックレビュー。毎週4冊を読む。エッセイや小説を。書いたり読んだり。インタビューもしたり。自分には文学の知識がないので何とかしなければと。電車で目に入ったのは大学の通信制の。今の私でも行けると。このまま仕事を続けるには本が欠かせない。合う大学を。通いやすいところ。スクーリングの重要性。学びたい分野があるか。法政大学の日本文学。開けるとぎっしりとテキストが。かなり怖気づいた。どの学生も凹むと。夜間のスクーリングや夏冬の集中スクーリングに加えて図書館に。学生の自覚を呼び覚ます。外に行くと仕事で一杯になるので、学生なのだと自分に思い込みを。モチベーションを。35歳で。自学自習は理解しているつもりだったが、単位認定試験で上手くいかなかった。全滅。今まで何をやってきたんだろうと。駄目だと思い知らされた。もっと勉強しないと。計画を立て直して試験をコンスタントに。自主性が必要。レポートを出して試験を受ける。自分で動かないと。スケジュールを立て直して1年目が終了。2年目から波に乗る。レポートを出して試験を受けて上手くいく科目も。レポートの書き方を。自分が書いている文章はレポートではない。小論文を。形式を整えて。成績が上がった。勉強も楽しく。アプローチが。専門分野の授業が増えて対面授業にも。レポートも分かってきたのたくさん書くことも出来て仕事との配分も上手くいくように。毎回出ようとしていた。授業料を自分で払っているから無駄にしたくない。時間とお金を自分のために。やり尽くしたい。1時限出られないで次に出ると全く分からない。帰りたくなったが隅で座っていたら昨日来てないですねと。顔なじみだったが昨日の授業のコピーを。本来なら自分で言わないといけなかったけれど、ひたすらショックを受けていたので。それからはコピーを提供したりして。自分自身でするしかないが、助け合いが必要。顔見知りも出来づらいので自分で。自分も誰かに親切にするのがお返しに。理数系が苦手。化学の授業を。知らない人と実験で石鹸を作る。ラベンダーの石鹸を。全く知らない人も。若い男性にすがって。一種のコミュニケーションに。とにかく分からないですよねと巻き込んで。困ったときこそ人と知り合いに。苦手だと思っているから頼りたくなる。結果的に様々な知り合いが出来る。卒業論文の準備を。大学の3年で。最初は想像もつかなかった。卒業が実感できたので。川端康成で調べていたら色んな人が書いている。自分なりの視点を見つけるのが大変。北條民雄をnetで見かけて大学図書館で。川端康成に見いだされた。ハンセン病を患った。ハンセン病の病院の中のことを書いた。大きな反響が。ハンセン病自体を知らなかったので歴史を調べながら。1年近く考えて作家を追いかける。初めてしたこと。「いのちの初夜」から。残した作品も少ないが。川端康成との往復書簡も。研究者も少ないので自分なりの視点も持てた。紙に書いて大学に提出すると担当の教員がつく。何となく親しみが。対面したのは1度2度しかないが。mailで困った時に相談を。好意で受けてくださったのでそれを頼りに。通信制大学は4年で卒業したいと。自分を追い詰めて。怠けてしまうと。法政通信は6年が普通だが、最短で4年でクリヤーしたいと。仕事をしながらなのでスケジュールを組みやすい方だが。レポート間際で仕事を調整したりするがいつまでもそうするわけにはいかない。社会で仕事をしているのでそちらが本文。邁進して勉強もきちんと。それなら期限を。目標通り4年での卒業を。じわじわと嬉しさが。大学に行かなくても良いと。どれだけ大学に行ったかなと。行くのが結構楽しかった。通学生とすれ違ったり。一緒に学んでいるのが誇らしいと。卒業を果たすまではずっと緊張状態に。一番感じたのは、卒業論文はこれまでの授業や試験やレポートとは違う、自分で問題を設定して答えること。人生も一緒。相手に答えるというより自分の問題を設定するということを。この先の人生で大事なこと。通信制で学ぶ人に。学ぶことに年齢の限界はない。いろんな年齢層に色んなバックボーンが。記憶力はともかく楽しいよねと。やりたいことを自分の時間を割いてやることは大事。勉強することの楽しさは現役の頃よりずっとある。自分がやりたいことをやれるということ。全員が叶うわけではないが。喜びを皆が感じている。その幸せな環境を噛み締めて。自分自身の体力や体の不具合があるが、若い頃にはない喜びが。一生の宝になる。

 

トランスファー (単行本)

トランスファー (単行本)

  • 作者:中江 有里
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2019/06/18
  • メディア: 単行本
 

 

 

残りものには、過去がある

残りものには、過去がある

  • 作者:中江 有里
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2019/01/22
  • メディア: 単行本
 

 

 

 

 

わたしの本棚

わたしの本棚

  • 作者:中江 有里
  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2017/11/06
  • メディア: 単行本
 

 

 

ホンのひととき 終わらない読書 (PHP文芸文庫)

ホンのひととき 終わらない読書 (PHP文芸文庫)

  • 作者:中江 有里
  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2017/09/12
  • メディア: 文庫