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消費社会がもたらす学校空間の変容(教育文化の社会学第7回)#放送大学講義録

ーーーー講義録始めーーーー

 

このような生徒サブカルチャーと学校空間の意味の変化は、一方で、生徒の柔軟で多様な生き方や意味付けを許容し、新しい文化の創造につながる側面が期待されます。しかし、一方では、学校や教育の意味を曖昧化させ、拡散させることで、学校の存在意義そのものが後退する可能性もあります。

こうした両面について、生徒サブカルチャーの変化と学校空間の変容を、より大きな社会的背景の中で考察してみます。この1990年代以降の生徒文化と学校空間の変化を促してきた背景には、いくつかの要因が考えられます。

1つ目は、1980年代後半以降に進められた一連の教育改革です。「ゆとり教育」や「個性尊重」、「生きる力」を柱とする教育改革の中で、学校空間の意味は学校側が一方的に規定するものではなく、生徒の選択や行動の自由を拡大する形で、多様な意味付けを受け入れる空間へと変化しました。このことは、生徒の主体的な意味付けや学習を促進する可能性を持つ一方で、学校が明確な意味を持たない曖昧な場になるというリスクも伴っています。これにより、明確な目的意識を持つ生徒とそうでない生徒との間に格差が生じる可能性も示唆されています。

2つ目は、消費社会化とメディアの拡大です。この時期から現代にかけて、消費社会では、消費者が画一的な商品に飽き、より新しいトレンドやイメージを重視する傾向が強まりました。例えば、都心に住む人が実際には必要性が薄いSUVやツーリングワゴンを購入するようなケースが挙げられます。これは、実用性ではなく「ワイルドさ」や「トレンド感」といった商品が持つイメージを消費している例です。

このような消費社会の価値観は、教育や学校の価値観にも影響を及ぼします。学校教育は本来、将来の自分を実現するために現在の努力や禁欲を求めるものですが、消費社会の浸透によって、その価値観が揺るがされています。現在の気分や価値観を優先し、未来を見据えた計画よりも「今の自分」を重視する「現在志向」の価値意識が広がりつつあります。

このような変化の中で、学校もまた、これまでのように生徒全体を管理し一定の方向へと誘導する空間ではなく、生徒それぞれが現在の価値観や欲求に適応し、居場所を見つける「コンサマトリー(自己充足的)」な空間へと変化しつつあると考えられます。